~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
剣 の 運 命 (一)
歳三は駕籠で花昌町まで行き、屯営とんえいの門をくぐりながら、
「いやもう、ひどい降りだ」
近藤は、おもだった隊士と共に門まで出迎えてくれた。
「歳」
近藤は、ぐわんと肩をたたいた。懐かしいらしい。
「歳、お前が京へ入ると、天も感じて雨を降らせたようだな」
近藤らしい下手な冗談だが、しかしそのい方にどこかうつろ・・・な響きがある。
(妙だな)
歳三はこういうことには敏感であった。大政奉還とともに近藤の心境が、変化しはじめているのではあるまいか。
(そうにちがいない)
廊下を肩をならべて歩きながら、近藤の口ぶりは、また変化した。歳三の機嫌きげんを取るように言うのである。
「道中、疲れたろう」
「ふむ」
歳三は近藤という男をよく知っている。
心で思っていても、こんなことを口に出すようなやわ・・な男ではなかった。
「疲れはせぬ。それよりもあんたの様子をみると、京にいた方が疲れるようだ」
「そうかね」
「顔がえない。どうやら、心術定まらざるものが腹にあるようだ」
「歳。お前は知らぬのだ」
「まあいい、この話はあとでしよう」
その夕、近藤の屋敷で、隊の幹部が集まって、歳三の慰労のための酒宴をひらいた。
「土方さん、江戸はどうでした」
と、沖田総司が言った。
「ああ、お前の姉にも会った。あとでくわしくいう」
どうも妙だな、お思うのは、一座の雰囲気ふんいきが、京をったころとはちがう。どこかが沈んでいる。
もともとこの一座、ずらりと見わたしても物事に沈むような性根の連中ではなかった。原田左之助が楽天家の筆頭、永倉新八も覚悟のできた男だ。それに温和で書物も読まぬ井上源三郎、さらに沖田総司、これは近藤、土方と生死を共にするという一事だけが確かで、あとの悩みは神仏に預けっぱなしという恰好の若者である。
歳三は、江戸の話をした。
周斎老の病状。
佐藤彦五郎の近況。
それに、江戸における新選組の評判。
「両国の花火は今年はなかった。江戸も変ったね。町を歩いていても、コウモリがさてやつをさして歩いている武士が多かった。はじめは旗本の間にはやったんだが、ぼつぼつ町人も用いているようだ」
「そんあに変わりましたか」
と永倉が言った
永倉新八は松前藩脱藩で、定府じょうふの下士の子だったからきっすい・・・・の江戸育ちである。それだけに、懐かしさがちがうのだろう。
「江戸に帰りたいなあ」
疲れ切ったような表情で言った。
「どういうわけだ」
歳三は、杯をくちびるでとめて、微笑した。この男の微笑は、うるさい。
「いや、理由などはありませんよ。土方さんが久し振りで江戸のにおいを運んで来たからそい言ったまでです」
「しかし新八つぁん、江戸には帰らせねえよ」
歳三は杯を置いた。
「京が、新選組の戦場だと私は心得ている」
「が、歳。──」
近藤である。つぶやいている。
「お前は一本調子で結構だが」
「結構だが?」
「お前の留守中。京も、変っのだよ」
大政奉還のことを言っているのであろう。この急変に、近藤はどう処していいのかわからなかった。
「将軍は、政権を天朝に返上してしまわらたんだよ」
「その話はあとだ」
と、歳三は言ったが、近藤はおっかぶせて
「歳、おれのいうことをきいてくれ。三百年、いや、日本は源頼朝みなもとのよりとも公以来、政権は武門の棟梁とうりょうがとってきた。政権の消長こそ¥あったが、これが日本の古来からの風だ。まして今は、洋夷よういに国をねらわれている。いまこそ征夷大将軍を押し立てて国を守るべきときであるのに、公卿くげに政権を渡して日本が守れるかどうか」
「そのとおり」
末席で原田左之助が割れるように手をたたいた。単純な男なのである。
「左之助、だまっておれ」
近藤は、おさえた。
「しかしながら、天朝に弓をひくことは出来ぬ。歳」
「なんだえ」
歳三は、杯をおいた。
「お前に意見があるか」
「意見はあるがね。しかしそんなむずかしいもんじゃねえ。新選組の大将はお前さんだ。お前さんが、源九郎げんくろう義経よしつねみたいなしらつらで悩んでいることはないんだよ。大将と」いうものは、悩まざるものだ。悩まざる姿をつねにわれわれ幕下に見せ、幕下をして仰いで泰山のごとき思いをさせるのが、大将だ。お前さんが悩んでいるために、みろ、「局中の空気は妙にうつろ・・・になっている」
「これは相談だ」
「どっちにしろ、無用のことさ」
吐き捨てた。相談なら、自分とこっそりやってくれるといい、というのが歳三の意見であった。隊長が隊士に自分の悩みを打ち明けているようでは、新選組は明日といわず、今日から崩れ去ってしまうだろう。
2024/03/19
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