~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
剣 の 運 命 (二)
「近藤さん」
と、そのあと、近藤の屋敷で言った。ほかの隊の者はいない。
「われわれは、節義、ということだけでいこう。時勢とか、天朝、薩長土がどうの、公卿の岩倉がどうの、というようなことを言い出すと、話が妙になる。近藤さん、あんたの体から、あか・・をこそげ落としてくれ」
あか・・?」
「政治ということさ。あんたは京都に来てからそいつの面白さを知った。政治とは、日々動くものだ。そんなものにいちいち浮かれていては、新選組はこの先、何度色変えしなければならぬかわからない。男には節義がある。これは、古今不易ふえきのものだ。── おれたちは」
歳三は、冷えたお茶を飲み干してから、
「はじめ京に来た時には、幕府、天朝などという頭はなかった。ただ攘夷のさきがけになる、というだけであった。ところが行きがかり上、会津藩、幕府と縁が深くなった。知らず知らずにうちにその側へ寄って行ったことであったが、かといって今となってこいつを捨てちゃ、男がすたる。近藤さん、あんたは日本外史の愛読者だが、歴史というのは変転してゆく。そのなかで、万世にかわらざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。新選組はこのさい、節義の集団ということにしたい。たとえ御家門、御親藩、譜代大名、旗本八万騎が徳川方に背をむけようと弓をふこうと、新選組は裏切らぬ、最後の一人になっても、裏切らぬ」
「歳、楠公なんこうもそうだった」
「あんたはなかなか学者だ」
歳三は、くすっと笑った。脱盟した伊東甲子太郎も楠公信者だったことを思い出したからである。
「しかし、ことさらに楠某などと死者の名を借りずともよい。近藤勇、土方歳三の流儀でゆく、それだけでい」
「が、局中は動揺している。なにか告示すべきだろう」
「いや、言葉はいけない。局中に節義を知らしめることは、没節義漢を斬ることだ。その一事で、みなしずまる。まず、脱盟して薩摩藩側にはしった伊東摂津せっつ
伊東は、江戸のころは鈴木大蔵おおくらという名であったことは、かつて述べた。
それが新選組に加盟した年、それを記念して甲子太郎と名を変え、こんど薩摩藩に奔って御薩衛士えじ組頭となり、摂津とあらためた。
この当寺、脱藩者などが名を変えるのは常識になっていたが、変節するごとに名を変えたのは伊東甲子太郎ぐらいのものであったろう。
2024/03/21
Next