~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
剣 の 運 命 (四)
一方、高台寺月真院の御陵衛士の屯営では、この夜不幸が重なっていた。営中には小人数しかいなかった。
隊の幹部の新井忠雄、清原清は、募兵のために関東に下っていた。
伊東の内弟子だった内海二郎、阿倍十郎は前日から鉄砲猟をするために稲荷山の奥に入ったまま帰隊していない。
伊東がき後は、その相談相手でもあり、最年長でもあった篠原泰之進が、自然、下知する立場になった。
急報して来た町役人を返した後、、篠原はさわぐ同士をしずめて、
「死体を引取ることだ。おそらく連中は待ち構えているだろう。しかしどうあろうとも死体を引取る、これ以外に、余計な思慮を用うべきではない」
「篠原さん」
と言ったのは、伊東の実弟の鈴木三樹三郎である。ふるえている。
「相手は旧知の連中です。みな面識がある。当方が礼を尽くして受取りに行けば、事は起こらぬのではないですか」
「礼を尽くして?」
篠原は、笑った。武士の礼のわかるような連中なら伊東をだまし討ちにはすまい。
「戦うあるのみだ」
と服部武雄が言った。かつて新選組の隊中でも抜群の剣客といわれた男である。
「篠原さん、甲冑かっちゅうをつけてゆこう」
「いけないよ」
篠原は、一同に平装を命じた。この時の心境は、篠原泰之進の維新後の手記にこう書かれている。
── モシ賊ト相戦ハバ、敵ハ多勢、我ハ小勢ナリ。しかリトいへどモ甲冑ヲ着テ路頭ニ討死セバ後世ソノけふヲ笑フシ。
出動隊は、七名である。
篠原泰之進、鈴木三樹三郎、加納鵰雄、富山弥兵衛、藤堂平助、服部武雄、毛内監物。みな、駕籠に乗った。
それに伊東の遺骸いがいを運ぶための人足二人に、小者がひとり。
東山の坂をくだった時には、午前一時を過ぎている。
油小路ニ駆付かけつ ケタリ。
四方ヲ顧ミルニ、凄然せいぜんトシテ人無キガゴトシ。ヨツテ直チニ伊東ノ死所ニ至リ、ソノ横死ヲミテ一同声ヲ発シ、スミヤカニ血骸ヲかごキ入レントスルニ、賊兵三方ヨリ躍リいで、ミナ鎖を着シ、散々ニ切リカカリタリ。ソノ数、オヨソ四十余人なり
 
歳三は、「芳治」の軒下に腕を組んで争闘をを見ていた。
月が、路上の群闘を照らしている。
藤堂平助、服部武雄の奮戦のすさまじさは、歳三も、胴のふるえるのを覚えた。
一歩も逃げようとしないのである。
飛びちがえては斬り、飛び込んでは斬り、一太刀も無駄むだなく斬ってゆく。
「土方さん、私が出ましょう」
と控えの永倉新八が言った。
「いや、新参隊士にまかせておけ」
「お言葉だが、死人がふえるばかりだ」
永倉は飛び出した。
歳三が見ていると、永倉は弾丸のように群の中に突き入って、藤堂の前に出た。
江戸結盟以来の古い友人である。
「平助、永倉だ」
と言いながら剣を抜き、軒へ身を寄せ、逃げろ、と言わんばかりに南へ道を開いてやった。
藤堂は永倉の好意に気づき、駈け出そうとした。安堵あんどしたのが悪かったのだろう。背後に油断が出来た。その背へ、平隊士三浦某が一刀をあびせた。
藤堂はすでに身に十数創をうけている。
さらに屈せず、三浦を斬ったが、ついに力尽き、刀を落とし、軒下のみぞへまっさかさまに頭を突っ込んで絶命した。
服部武雄はさらに物凄ものすごかった。おそらく傷を負わせた者だけで二十人はあったろう。
原田左之助、島田塊といった隊中きっての手練てだれでさえ、服部の太刀を防ぎきれずに傷を負った。やがて闘死。
篠原、鈴木、加納、富山は乱闘の初期に素早く脱出している。
死んだのは奇妙なことにすべて一流の使い手であった。彼らは脱出しようとしても、剣がそれを許さなかった。剣がひとりで動いてはつぎつぎと敵を斃し、死地へ死地へとその持主を追い込んで行った。
(剣に生きる者は、ついに剣で死ぬ)
歳三はふと、そう思った。
軒端を出た時には、月は落ちていた。歳三は真暗な七条通を、ひとり歩きはじめた。
星が出ている。
2024/03/24
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