~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
大 暗 転 (三)
和泉守兼定、二尺八寸。すでに何人の人間を斬ったか。数もおぼえていない。
「これは刀だ」
と言った。歳三の口ぶりの熱っぽさは、相手は沖田と見ていない。自分に言い聞かせているような様子であった。
「総司、見てくれ。これは刀である」
「刀ですね」
仕方なく、微笑した。
「刀とは、工匠が、人を斬る目的のためにのみ作ったものだ。刀の性分、目的というのは、単純明快なものだ。兵書と同じく、敵を破る、という思想だけのものである」
「はあ」
「しかし見ろ、この単純の美しさを。刀は、刀は美人よりもうつくしい。美人は見ていても心はひきしまらぬが、刀のうつくしさは、粛然として男子の鉄腸をひきしめる。目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである。新選組は節義にのみ生きるべきである」
(なるほどそれを言いたかったのか)
沖田は床上微笑をつづけている。
「そうだろう、沖田総司」
「私もそう思います」
これだけは、はっきりとうなずいた。
「総司もそう思ってくれるか」
「しかし土方さん」
と、沖田はちょと黙ってから、
「新選組はこの先、どうなるのでしょう」
「どうなる?」
歳三は、からからと笑った。
どうなる・・・・ どうなる・・・・る、とはおとこの思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ」
「では、どうするのです」
「孫氏に謂う」
歳三は、パチリと長剣をおさめ、
「その侵掠しんりゃくすること火のごとく、そのはやきこと風のごとく、その動くこと雷震らいしんのごとし」
歳三はあくまでも幕府のために戦うつもりである。将軍が大政を返上しようとどうしようと、土方歳三の知ったことではない。歳三は乱世に生まれた。
乱世に死ぬ。
(男子の本懐ではないか)
「なあ総司、おらァね、世の中がどうなろうとも、たとえ幕軍がぜんぶ敗れ、降伏して、最後の一人になろうとも、やるぜ」
事実、この後土方歳三は、幕軍、諸方でことごとく降伏、もしくは降伏しようとしている時、最後の、たった一人の幕士として残り、最後まで戦うのである。これはさらにこの物語ののちの展開にゆずるであろう。
「おれが、── 総司」
歳三は、さらに語りつづけた。
「いま、近藤のようにふらついてみろ。こんにちにいたるまで、新選組の組織を守るためと称して幾多の同志を斬って来た、芹沢鴨、山南敬助、伊東甲子太郎・・・それらを何のために斬ったかということになる。彼らまた俺のちゅうに伏するとき、男子として立派に死んだ。その俺がここでぐらついては、地下でやつらに合せる顔があるか」
「男の一生というものは」
と、歳三はさらに言う。
「美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている」
「私も」
と、沖田は明るく言った。
「命のあるかぎり、土方さんに、ついて行きます」
2024/03/26
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