伏見。──
人家七千軒の宿駅である。
京から伏見街道を南へ三里、夏は真昼でも蚊のひどい町だ。街道を下ってこの宿場に入ると、最初が千本町。ついで、
鳥居町
玄番町げんばんちょう
とつづき、やがて、木戸門がある。
その木戸門をくぐった鍋島町に、家康以来二百数十年、徳川の権威を誇ってきた伏見奉行所の宏壮な建物がある。維新後、兵営になったほどの広い敷地が、灰色の練塀ねりべいで囲まれている。
近藤、歳三らがこの伏見奉行所に移って、
「新選組本陣」
の関札をかかげた時は、隊士はわずかに六、七十名に減少していた。歳三の予想した通り、あの夜、時勢の変化を見てついに屯営とんえいに帰らない者が多かったのである。
幕軍主力は大坂に居る。京の薩藩以下の「御所方ごしょがた」に対する最前線は伏見奉行所であった。その伏見奉行所を守る新選組が六、七十人というのは、(ほかに会津藩兵の一部もいたとはいえ)ひどすぎるだろう。
ほかに、大砲が一門。
「これじゃ、仕様がねえよ」
近藤もあきれてしまい、大急ぎで大坂の幕軍幹部、会津藩とかけあい、それらの中から、腕の立つのを選んで増強してもらった。
兵力百五十人。
「まあまあ、どうにかこれでかたちがついたことだ」
と、近藤も安堵あんどした。 |