~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
伏 見 の 歳 三 (二)
こうした長州部隊が、新選組が駐屯する伏見奉行所の門前を、堂々と通過して行くのである。
「これを許しておくのか」
と、近藤は、十八日早暁から、当時まだ二条城に残留していた幕府の大目付永井玄玄蕃尚志なおむねに意見具申するため隊列を組んで出かけて行こうとした。
「もう、よせ」
歳三は、制止した。政治ずきの近藤がいまさら駈けまわったところで、こんな田舎政治家のような男の手におえる事態ではない。将軍慶喜がすでに家康以来の政権を奉還し、しかも王政復古の号令も出ているときである。
「歳、お前は知らねえ。王政復古てのは、すべて薩摩の陰謀なのだ。幕府はしてやられたのだ」
と、近藤は、ききかじってきた政局の内幕を歳三にいうのだが、歳三にはそんなことは興味はなかった。
「近藤さん、もう、談合、周旋、議論の時期じゃねえ」
と歳三は言うのだ。
「戦さで、事を決するんだよ。事態はそこまで来ている」
「わかっている。おれは永井玄蕃頭にそれをすすめに行くのだ」
「要らざることさ」
「なに?」
「あんたはこの本陣の大将だ。うろうろ駈けまわって居ちゃ、隊士がまとまってゆかない。戦さてのは、たった今始まるかもしれねえんだぞ」
「歳、お前はばかだ」
「ばか?」
「新選組にあって天下の事を知らん。天下の策を知らぬ。戦さの前に策をととのえてこそ、勝つ」
「わかっている。が、われわれは幕軍の一隊にすぎぬ。天下の策は一隊の将がやるべきでなく、大坂に居るお偉方えらがたに任せておけばよい。あんたは動くな」
が、近藤は出かけた。
白馬に乗り、供は隊士二十名。いずれも新米の隊士である。それが京をめざし、竹田街道を走った。
2024/03/29
Next