~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
伏 見 の 歳 三 (三)
奉行所に、望楼がある。
ちょうど本願寺の太鼓楼を小さくしたような建造物で、上へあがると、眼の前の御香宮ごこうのみやの森、桃山の丘陵、さらには伏見の町並がひと眼で見えた。
その正午、歳三は望楼にのぼった。
眼の下の街道を、これで何梯団ていだんかの長州部隊が通りはじめたからである。
人数は二百人余り。
異様である。洋服に白帯を巻き、大小をさし、すべて新式のミニエー銃口径十五ミリをかつぎ、指揮官まで銃を持っている。
(カミクズ拾いのような恰好をしてやがる)
と歳三は思った。
しかしそれだけに運動は軽快だろう、と思いつつ、四年前の元治元年、この街道を攻めのぼって来た長州部隊が、大将は風折かぜおり烏帽子えぼしに陣羽織、先祖重代の甲冑かっちゅうの下にはにしき直垂ひたたれを着、従う者はすべて戦国風の具足をつけ、火器といえば火縄銃ひなわじゅうばかりであったことを思うと、今昔こんじゃくの思いにたえなかった。
(あれから、四年か)
わずか、四年である。しかし長州の軍備は一変した。この攘夷じょうい主義、西洋嫌いの長州藩が、幕府から第一次、第二次征伐を受けている間に、藩の軍制を必要上、様式に切り替えた。京都の薩摩、土佐の部隊も、この長州と同じ装備である。
(どうやら、世界が変ってきている ──)
歳三は、眼のさめる思いで、彼らの軍容を見おろしていた。
砲車が、ごろごろと曳かれてゆく。
これも、新式の火砲である。四ポンド山砲さんぽうというやつだが、砲の内部(砲腔ほうこう)にはねじがきざまれ、弾丸は、千メートル以上も飛ぶ。
それにひきかえ、新選組が持っているたった一門の大砲は、江戸火砲製造所でつくった国産品で、砲腔がつるつるのやつであり、有効射程は七百メートル程度であった。
これら長州兵の様子と比べると、幕軍の装備は、四年前の長州と同じであった。
幕府歩兵隊こそフランス式ではあるが、旗本の諸隊、会津以下の諸藩兵は、ほとんど日本式で、刀槍とうそう、火縄銃を主力武器とし、わずかに持っている様式銃も、オランダ式ゲーベル銃という、照尺もついていない粗末な旧式銃である。
(勝てるかねえ)
が、兵力は、幕府の方が、おそらく十倍を越すだろう。
(人数で押せば勝てる)
と、歳三は思い返した。
長州兵が、通り過ぎた時、ぱらぱらと昼の雨が降った。
は照っている。
(妙な天気だ)
と、望楼の窓から離れようとした時、ふと眼の下の路上で、ぱらりとじゃ目傘めがさをひらいた女を見た。
(あっ、お雪か){
と思った時、すでにその女は、京町通へ抜ける露地に入り込んでいた。
歳三は、駈けおりた。
門を飛び出した。
「どうなさいました」
と、門わきで隊士の一人が駈け寄って来た。
「いや」
歳三は、にがい顔である。が、その表情のまま路上に突っ立ちつつも、気持が沸き立ってくるのを押さえか、
「こ、ここで」
と、噴き上げるように言った。
「女を見かけなかったか、いま長州人が通り過ぎたあとに。若い・・・いや、若いといっても中年増ちゅうどしまだろう。まゆは落としていない。蛇の目をさしていた。そういう女がこの門のあたりを通り過ぎて、そこの露地へ消えた。それを・・・」
「土方先生」
隊士は、やはり歳三の挙動に異様さを感じたらしい。
「われわれここで、ずっと長州兵を見ていました。しかしそういう女は」
歳三は歩きだした。
例の露地。──
入口に入ると、すでに隊士の眼はない。
歳三は暗い露地の中を、なりふり構わず走りだした。
京町通に出た。
(いない)
左右は、明るすぎるほどの街路である。
(錯覚であったか)
いや、ぱらりと開いた傘の音まで、耳に残っている。しかし、考えてみると、あの高い望楼から傘の開く音が、果たして聞こえるものだろうか。
2024/03/30
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