~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
鳥羽伏見の戦い・その一 (二)
松本良順は、近藤より二つ年上の三十六歳。幕府の医官松本家の養子になり、長崎で蘭医らんいポンペから西洋医術を学び、まだ書生の頃長崎で日本最初の洋式病院(当時長崎養生所という名称。今の長崎大学医学部の前身である)をたて、医者には惜しいほどの政治力を発揮した。のち幕府侍医となり、法眼ほうげんの位をもらった。非常な秀才だが、血の気も多かったため、幕府瓦解がかい後は、各地に転戦した。維新後そのため一時投獄されていたが、新政府が彼を必要としたため出仕し、名を順とあらためた。陸軍軍医制度をつくるあげ、陸軍最初の軍医総監(当時、軍医頭という名称)になった。七十六歳まで生き、晩年、男爵だんしゃくをおくられた。今日われわれの生活とのつながりでは、海水浴場を最初に奨励啓蒙けいもうした人で、たしか逗子ずしだったかにはじめて海水浴場をひらいた。当時の日本人は、海で泳いで遊ぶなどは奇想天外なこととしていた。
この松本良順(順)は、近藤を大阪城で治療してから新選組の非常な後援者となり、いま東京の板橋駅東口にある近藤「、土方の連名の碑もこの松本良順の揮毫きごうするところで、晩年まで新選組のことをよく物語った。明治の顕官のなかでは、おそらく唯一ゆいつの新選組同情者であったといっていいだろう。
 
近藤は、伏見から幕府の御用船で大坂へ送られることになった。そして病臥びょうが中の沖田総司も。
その前夜。──
「歳、お雪というそうだな」
と、不意に言った。この「歳」という男は若い頃から、自分の情事について一切口にしたがらない性癖を近藤は知っていたが、この夜は彼の方から話題にした。
「そう。──雪」
と、歳三は無表情で言った。
「なぜ歳、京を去る夜、そういう女がいるのに、会いに行ってやらなかった」
ない・・からね」
歳三は、あわてて手短く言った。
「なにがないんだ」
と、近藤は鈍感。
「会う必要が、さ」
「必要がないのかね。家の始末とか、女への手当とか」
と、近藤が言う。実を言えば、歳三は手紙を町飛脚に持たせてやるときに、自分の手もとにあった二百両の金子きんすのうち、五十両だけをのこして、お雪にこっそり届けてある。
しかしそれは、歳三の気持の中では「手当」ではない。
お雪は歳三の大事な恋人であった。女房、めかけ、といったような、歳三に言わせればな存在ではないのである。
「近藤さん。まちがってもらっては困るがお雪は妾じゃありませんよ」
「ふむ?」
「恋人だ」
と、現在いまならばそういう手軽で便利でわりあい的確な語彙があるから、歳三はそう答えたであろう。しかし、
「大事なひとさ、私の。──」
とそう言っただけだった。
「大事なひとなら、なぜ会わない」
「さあ」
歳三は、これ以上この話題をつづけたくない、よいったふうのながい顔をした。女房のほかに妾が三人もある近藤のような型の男には、言っても無駄むだであろう。
その夜、近藤はひどく気の弱い話をした。
「時勢は変ってしまった」
というのであっる。いずれ天朝中心の世の中になるのであろう。そのとき、自分は賊軍にはなりたくない、と言った。
「近藤さん、もうよせよ」
と、歳三は何度も止めた。体に障る。さわるだけではなく、近藤という男の弱点がみえてきて」、歳三はいやなのだ。
(この人はやはり英雄ではある)
と、歳三は思っていたが、しかしながらそれはあくまでも時流に乗り、勢いに乗った時だけの英雄である。勢いに乗れば、実力の二倍にも三倍にも能力の発揮出来る男なのだ。
が、頽勢たいせいに弱い。
情勢が自分に非になり、足もとが崩れはじめてくると、近藤は実力以下の人間になる。
(たこのようなものだ。順風ならば、風に持ち上げられ自分も風に乗り、おだてに乗り、どこまでもあがってゆく大凧だが、しかし一転風がなくなれば地に舞い落ちてしまう)
そういう型であって、これは非難すべきものではない
(しかし)
おれはちがう、と歳三は思っていた。
むしろ頽勢なればなるほど、土方歳三は強くなる。
本来、風に乗っている凧ではない。
自力で飛んでいる鳥である。
と、自分を歳三は評価していた。少なくとも、今後そうありたいと思っている。
(おれは翼のつづくかぎりどこまでも飛ぶぞ)
と思っていた。
翌日、近藤と沖田は護送された。
2024/03/31
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