「この戦はかつ」
と歳三は信じた。
「いいか、諸君。──」
と、歳三は隊士たちを集めて言った。
「おらァ、子供の時からずいぶんと喧嘩をしてきた。喧嘩てのは、おっぱじめるとき、すでにわが命ァない、と思うことだ。死んだ、と思い込むことだ。そうすれば勝つ」
が、内心、
(勝てるかな)
という疑惧ぎくがある。この疑惧のたった一つの理由は、慶喜という人物である。
幕軍が、討薩表(陳情書)をかかげて大坂を出発するというのはいいが、その陣頭になぜ慶喜が立たない。
慶喜は大坂に腰をすえたままである。しかも姿勢はおよそ戦闘的ではなく、婦女子のように恭順・・しているだけではないか。
「わるい卦けだよ」
と思うのだ。
大坂夏ノ陣の軍談は、歳三は諳そらんずるほどに覚えている。
総大将の豊臣秀頼は、ついに一歩も大阪城を出なかった。四天王寺方面で難戦苦闘している真田さなだ真田ゆきむら村は、何度か息子の大助を使者にして、
「御大将ご出馬あれ」
と、懇請した。大将が出れば士卒はふるい、倍の力を出すものである。が、秀頼は、敵の家康が、七十余歳の老齢で駿府すんぷ城からはるばると野戦軍の陣頭に立ってやって来ているのに、ついに出なかった。
(それに似ている)
ところも、大阪城。
(わるい卦だ)
と思ったのは、それである。 |