~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
鳥羽伏見の戦い・その二 (三)
林部隊の砲は、三門である。ごろごろと車輪をひびかせつつ、奉行所の門に入った。
「土方さん、形勢はどうです」
と、林権助は、あごを北へしゃくった。薩長の陣地の配置を聞いていたのである。
「あとで望楼へおともしましょう」
と歳三はまず手製の地図をひろげた。
権助は驚嘆して、
「ほう、ほう」
と、子供のように眼をかがやかせた。
「この地図は、どなたが作ったのです」
「私ですよ」
と、歳三は言った。この男は、多摩川べりで喧嘩をしていた頃から、かならず地形偵察ていさつをし、地図を作ってからやった。たれに教えられた軍学でもない。歳三が、喧嘩をかさねてゆくうちに自得をしたものである。
「これは土方流の軍学じゃな」
と、長沼流の権助は咽喉のどを鳴らした。嬉しい時の老人の癖である。
歳三の地図は精密なものだ。このあたりを十分踏査して描き、諜報その他によって得た敵の配置を、克明に書き入れてある。
「これで戦をなさるのか」
「いや、この敵の配置は、たったいま現在のものです。もう一刻たてばどう変化するかわかりません。喧嘩の前には忘れますよ」
と、権助の見ている前で破り、そばの火鉢ひばちの中に放り込んだ。
ぱっ、と燃えた。
敵情は変化する、とらわれない、というつもりであろう。
「土方流ですな」
権助は、またのどを鳴らした。自分と一緒に戦をする男を、ひどく気に入っている。
「土方さん、あんたとわしが手痛く戦をすれば、向かうところ敵なしですよ」
一献いっこん、汲みますか」
「いや、酒は勝ってからです。また例の会津幼童の遊び・・を聴かせましょう」
二人は、一緒に昼食をとった。
そのあと、望楼にのぼった。
「ごらんなさい」
と、歳三は足もとを指さした。ほんの足もとの近さである、御香宮は。
そこに、薩軍の本拠がある。奉行所の北塀とは二十メートルほどの距離であろう。
「土方さん、変わった」
と、権助は首を突き出した。
「あんたの地図とは、もうちがっている。薩軍はふえている」
だから歳三は地図を破った。敵というものは、どう変化するかわからない。
歳三は望遠鏡でのぞいた。
会津の林隊による奉行所兵力の増強に、敏感に対応したのである。
御香宮の東側に、小さな丘陵がある。土地では竜雲寺山と呼んでいたが、山というほどの高地ではない。
そこに薩摩藩の砲兵陣地がある。それがほぼ二倍に増強されているのである。増援された砲兵隊長は、薩摩藩第二砲隊の隊長大山弥助であった。のちの日露戦争の満洲軍総司令官大山いわおで、当時二十七歳。早くから江戸に出て砲術を学び、薩英戦争にも砲兵小隊長として参加した。冗談の好きな若者で、
「また大山が冗談チャリ云う」
と家中で一種の人気者だったが、この日、京都から伏見へと急行する間、ほとんど口をきかなかった。
竜雲寺山に四斤野砲をひっぱりあげると、すぐ放列をいた。
眼下が、伏見の奉行所である。めくら撃ちに撃っても、弾丸たまはことごとく命中するであろう。
 
「あの竜雲寺山は」
と、林権助は言った。
「はじめ、彦根藩の守備陣地になっていたのではないですか」
「そうです」
と、歳三は言った。
「彦根藩の井伊といえば」
云わずと知れている。家康以来、徳川軍の先鋒せんぽうと決まっていた。家は譜代大名の筆頭で幕閣の大老を出す家格である。
「それが寝返ったか」
「愚痴」
と歳三は言った。
「いわぬことです。それよりも、あの山に砲を置かれては、二階から石を落されるようなものだ。開戦となれば、会津の砲ですぐあいつをつぶしてくれますか」
「いかにも」
権助には戦国武者の風貌ふうぼうがある。げんにその老体を、先祖重代の甲冑でよろっていた。
2024/04/03
Next