~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
鳥羽伏見の戦い・その三 (一)
最後に歳三、
「やっ」
土塀どべいの上にとびあがり、その屋根瓦やねがわら 屋根瓦やねがわらの上にあぐらをかいた。
ぴっ
ぴっ
と、小銃弾が耳もとをかすめた。
奉行所内部に待機している隊士らは、。歳三の無謀に驚き、
「副長、なにをなさるのです。薩長の射撃の標的になるつもりですか」
「土方さん」
原田左之助などは、のびあがって歳三の腰帯をつかみ、
「死ぬつもりかよ。あんたまでが弾にあたっちゃ、新選組はどうなる」
「原田君」
歳三は、路上を駈け出して行く永倉新八ら十八人の二番隊のほうをあごでしゃくりながら、
「あいつらも弾の中にいる」
と言った。この男の例の憎体にくていな、梃子てこでも動かぬ面構えである。
(勝手にしろ)
と、原田も、手を放した。
歳三は大あぐら。
(芝居さ)
と思っている。喧嘩けんかとは、命を張った大芝居なのだ。歳三の両眼が見ていればこそ二番隊決死隊も働き甲斐がいがあるし、構内で待機中の連中も、
(この将のためなら)
と思うはずだ。
事実、歳三もただも男ではない。生まれつきの喧嘩師の上に、ここ数年、文字通り白刃の林をくぐって来ている。
武士の虚栄は、死だ。
その虚栄が、骨のずい・・までみとおり、血肉をつくり、それが歳三のふてぶてしいつら・・を作りあげているようなところがある。
と、瓦が割れた。
歳三は、例の憎体面にくていづらのままである。顔色を変えるような「愛嬌あいきょう」がこの男にはない。愛嬌といえばどういう種類の愛嬌も歳三にはなかった。
おかしなことに弾もこの不愛想な男を嫌がるのか、すべて避けて飛んで行く。
(おれにゃあたらねえ)
喧嘩師特有の自信である。歳三のしりは、ずしりと土塀の屋根に坐っている。
2024/04/05
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