~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
鳥羽伏見の戦い・その三 (二)
一方、路上の永倉新八らの抜刀隊は、惨烈な状態になっていた。
新選組の担当正面は、通称指月庵の森と言われている疎林そりんで、そこに薩長の兵が、奇妙な塁を構えている。
民家から徴発した畳を積み上げ、それを胸壁がわりにして銃をのぞかせている。
林の中には畳の胸壁が、あちこち巧妙に配置されて、たとえ陣地内に斬り込まれても、死角というものがない。
一つの胸壁の銃兵を斬り殺しても、他の胸壁からたちまち突入者はやられてしまう。一夜造りの野戦陣地としては、実にうまいものだった。長州藩の指導によるという。
長州藩は、幕府の長州征伐を受けたおかげで、野戦攻城の経験が豊富になっていた。
奉行所からその陣地まで、わずか三十メートルたらずである。
歳三は、永倉から剣術精練の士を選んで、
「切り込め」と命ずる一方、新選組が持っている一門の大砲を間断なく射撃させて、援護した。
永倉らは、白刃をふるってかけけた。
必死に駈けた。
「駈けろ」
塀の上の歳三は怒号した。駈けねば敵陣へ辿り着くまでに撃たれる。
かさが無え、傘が」
と、原田左之助が塀の上に首だけ出して言った。
「なんの傘だ」
と、歳三。
「弾よけの傘がよ。雨ならカラカサ一本でよけられるが、弾はそうはいかねえ」
路上で、ばたばた隊士がたおれた。
弾をくらうと体が跳ね上がって倒れる。どさっつと地にたたきつけられる音が、ここまで聞こえて来るような気がした。
永倉が、松林に躍り込んだ。つづいて、五人、六人と躍り込んだが、みなそれぞれ松を一本ずつ抱えたまま、身動きが出来ない。動けば諸所方々の畳の塁から撃たれるのだ。
それでも永倉は飛び出そうとそいている。
「永倉、待てっ。動くんじゃねえ」
と、歳三はどなった。
怒鳴ると、構内の原田を振り返り、
「君の隊から十五人選ぶんだ」
と言った。
原田はすぐ選抜し、高さ二間の土塀をつぎつぎと乗り越えて路上に飛び出した。
歳三も跳び下りた。
「おれにつづけ」
と、駈けながら二尺八寸和泉守兼定を引き抜いた。抜いた拍子ひょうしに、刀身の物打ものうちにびしりと弾があたって跳ねた。
「駈けろ、駈けるんだ」
駈けるのが戦さ、といった戦闘で、話にもなにもならぬ。
弾が、雨のようにやって来る。その間、五足いつあしほど駈けるごとに、御香宮から打ち出している薩摩砲兵の弾が、
どかん
どかん
と路上で炸裂した。弾体に霰弾さんだんが詰まっている砲弾だから、はじけるとそこここに血煙が立った。
歳三はやっと松林に飛込み、一本の松をたてにとった。
ふりかえると、路上の死体はすでに十二。
「みな、飛び出すな」
と、歳三は言った。
夜を待つのだ。暮れきってしまうのに、あと十分も待てばいいだろう。
夜戦で斬る。
白兵となれば天下に響いた新選組である。
(死体の山を築いてやる)
歳三には自信がある。
2024/04/05
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