~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
鳥羽伏見の戦い・その三 (四)
敵は北へ逃げた。
北こそ、歳三が襲うべき敵の本陣「御香宮」である。
「つづけ」
と歳三は、左手に松明をかかげ、右手に和泉守兼定をかざして路上を突進した。
奉行所東端まで来た。
会津藩の主力がいる。
「林さんはどうした」
「あれに」
会津兵が指さすと、林権助は甲冑かっちゅうのまま路上に坐っている。
なお大砲の射撃指揮をしているのだ。
「やあ、土方さんか」
権助老人は笑った。
笑っているそばで、砲弾が炸裂したが、権助は顔色も変えない。
「やられたようですな」
「鉄砲玉が」
と、左腕、腰、右膝みぎひざを指し、
「入っている、あんたはまだかね」
「まあね」
と言った時、銃弾が飛んで来て歳三の松明を撃ち飛ばした。
歳三はゆっくりと拾いながら、
「佐川さん」
と、会津藩別選隊長の佐川官兵衛に呼びかけた。家中でも勇猛で知られた人物である。
「どうやら敵の大小砲の発布状態をみてみると、西方の市街地にあまり人数がいないようだ。ひとつ、市街地へ大迂回うかいし、御香宮の背後にまわって、南北から挟撃きょうげきしようじゃないですか」
「なるほど」
佐川もはじめて気づいた。敵の弱点攻撃こそ、戦術の眼目である。長沼流にもある。
ただし歳三のは天賦の喧嘩流である。
「やろう」
と、その場で会津藩、幕軍伝習隊の諸隊長を集め、趣旨を徹底させた。
先鋒は、新選組である。かつて蛤御門ノ変のとき伏見市街で長州兵と戦った経験があるから歳三は進んで買って出た。
どっと西へ駈け出した。
八丁畷はっちょうなわてを経て市街地に突入すると、少数の長州兵がいたが、すぐ蹴散けちらした。
(勝てる)
歳三は、両替町りょうがえまち(南北線)の角に立ち、
「伝習隊はこの道を北進してください」
と指示し、さらに西進。
新町通(南北線)へ出た。
「北へ駈けろ」
歳三、突進した。狭い街路を、三列、四列の縦隊になって各種幕兵がつづいた。
が、それも二十メートル。
両側の民家という民家が、いっせいに銃火を噴き上げた。幕兵はばたばたと斃れた。
長州の遊撃隊であった。
「伝習隊は、このまま駈けてください」
と云い残すと歳三は新選組を指揮して突風のように空家を襲っては長州兵と戦い、一軒ずつ叩き潰しては進んだ。
市街戦、接戦になると、どの隊士もいきいきと働いた。
さらに北へ走って、先着の伝習隊、会津藩兵と合流し、ついに敵の本陣「御香宮」の背後にまわった。
(勝った)
と歳三はふたたび思った。
敵も驚いたらしい。
薩摩軍は早速その精強の徒歩部隊を路上にくり出し、まず射撃戦を展開し、やがてすさまじい白兵戦がおこった。
もう、指揮というものではない。敵味方ひしめくように路上で戦うのだ。走ってぶちあたったやつが敵ならば斬る。芋の子を洗うような混戦である。
「新選組進め、新選組進め」
と歳三は怒号しながら、異装の人影を見ると斬り、背後をはらい、さらに進んだ。
御香宮へ。
塀をのり越えるのだ。
2024/04/07
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