~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
鳥羽伏見の戦い・その三 (五)
が、そのころ、竜雲寺高地に放列を布いていた大山巌らの薩軍砲兵は、戦況が意外な方面に移りつつあることに気づき、いそいで砲座を移動しはじめた。
同時に薩軍の銃隊もこの方面に集中しはじめ、戦闘開始以来、最大の火網を張った。
歳三の周囲で、死傷がが続出した。
幕軍歩兵、同伝習隊は動揺したが、さすが会津藩兵は動揺しない。
死屍ししを乗り越え、乗り越えして斬り込んで行く。
(やるなあ)
歳三も感心したが、ただ会津藩兵は敵を斃すと必ず首を斬り、腰にぶらさげるのである。
これには歳三も閉口した。
甲冑のよそおいといい、戦場作法といい、戦法といい、三百年前のそれではないか。
首は重い。
二つも首をぶらさげれば、もう行動はよたよたになってしまうのだ。
歳三は乱戦の最中、そういう会津藩兵をみつけると、
「あんた、首を捨てろ」
とどなるのだが、彼らにはわからない。
そこへゆくとさすがに新選組の白兵戦は軽快そのものであったが、人数はおどろくほど減っていまっている。
そのうち、伏見戦闘における幕軍の最大の不幸が勃発ぼっぱつした。
後方の本陣伏見奉行所の建物が、火の粉を噴き上げて燃えはじめたのであえる。
たちまち、あたりは真昼のような明るさになり、薩長方からは、歳三ら幕軍の行動が手に取るようにわかってきた。
銃砲火の命中が的確になった。雨のようにそそいだ、といっても誇張ではない。しかも幕軍は狭い路上に密集している。
もはや戦闘でなく、虐殺ぎゃくさつであった。
歳三はなお路上を疾駆していたが、この時、会津藩隊長の佐川官兵衛に云った言葉が、のちにおちまで伝わっている。
「佐川さん」
と、歳三は言った。
「どうやらこれからの戦は、北辰一刀流も天然理心流もないようですなあ」
が、歳三、絶望の言葉ではなかった。
今後は洋式で戦ってやろう、という希望に満ちた言葉だった。
妙な男だ。
笑っていたらしい。
その笑顔を、伏見奉行所の火炎が照らしている。
(おれの真の人生は、この戦場からだ)
歳三は、隊士を集めた。
「みな、いるか」
弾雨の中で、顔の群れを見た。そこに六十数名が立っている。
原田左之助、永倉新八、斎藤一、結党以来の組長たちの元気な顔があった。
が、故郷から一緒に出て来た天然理心流の兄弟子で六番隊組長井上元三郎の姿が見えない。観察の山崎すすむも。
「山崎君は」
「負傷して後送されました」
「あとの諸君は?」
いわずと知れている。鬼籍に入った数、百数十名である。
「よし、この六十人でもう一度押し返してやろう」
歳三は、ぢっかと坐った。
その頭上を弾がかすめた
2024/04/07
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