この正月三日は、陽暦でいえば一月二十七日である。この日、英国公使館書記官アーネスト・サトーは大坂にいた。この若い生粋のロンドンっ子については知られ過ぎている。彼は通訳生として文久二年に来日し、のち薩長に接近し、あふれるような機智と的確な時勢眼で、上役のパークス公使をたすけ、一方薩長側にさまざまの助言をした。このアーネスト・サトーの「幕末維新回想記」のこの日の項によると、「一月二十七日の晩、京都の方角に大きな火災がみえた。遠藤(サトーの従者)に聞くと、伏見で薩摩とその連合軍が、幕軍と戦っているのだ、という」とある。伏見奉行の火災は、十三里離れた大坂から望見出来るほどのものであったわけだ。
その「照明」の巨大さがわかろうというものである。 |