~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
鳥羽伏見の戦い・その四 (一)
劇場がそうである。
客席を暗くして舞台の人物群にだけ照明を当てる。
新選組にとって、この戦場はちょうどこのとおりであった。
後方で炎々と燃えさかっている伏見奉行所の猛火が、街路上の新選組、会津藩兵をして舞台上の人物群にしてしまった。
薩長の陣地は、暗い客席、といった戦術的位置である。自在に鉄砲火をあびせることが出来た。
「ひでえことになりやがったなあ」
と、歳三は奉行所の猛火に向って吐き捨てながら、とりあえず隊をまとめて京町四丁目から一丁目にかけての露地露地に隊士をかくして、「証明」から退避した。
 
この正月三日は、陽暦でいえば一月二十七日である。この日、英国公使館書記官アーネスト・サトーは大坂にいた。この若い生粋のロンドンっ子については知られ過ぎている。彼は通訳生として文久二年に来日し、のち薩長に接近し、あふれるような機智と的確な時勢眼で、上役のパークス公使をたすけ、一方薩長側にさまざまの助言をした。このアーネスト・サトーの「幕末維新回想記」のこの日の項によると、「一月二十七日の晩、京都の方角に大きな火災がみえた。遠藤(サトーの従者)に聞くと、伏見で薩摩とその連合軍が、幕軍と戦っているのだ、という」とある。伏見奉行の火災は、十三里離れた大坂から望見出来るほどのものであったわけだ。
その「照明」の巨大さがわかろうというものである。
2024/04/07
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