~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
大 坂 の 歳 三 (三)
歳三は、新選組宿陣に割り当てられている大坂代官屋敷に入った。天満橋てんまんばし南詰の東側にあり、堂々たる屋敷である。
「近藤はいますか」
と、代官屋敷の連中に聞くと、内本町うちほんまち三丁目の御城代下屋敷で、傷療養中だという。
「沖田総司も?」
と聞いたが役人はそこまで知らなかった。
「永倉君、負傷者のことを頼む」
と言い捨てて鞍上んじょうに腰をおろした。
せまい谷町筋たにまちすじをまっすぐに南下して御城代下屋敷に入り、馬をつないでいると、雨がぽつりと降った。
寒い。
ここ数日来、思ってもみなかったこの平凡な感覚が、はじめて歳三のはだによみがぇった。
雨が、ぱらぱらと降った。歳三は、ゆっくりと玄関に向って歩きだした。疲れた。疲れ切っている。生まれてこの方、これほど重い足を感じたことがなかった。
ふと、
(お雪は、どうしたろう)
と思った。突拍子とっぴょうしもない想念だが、玄関の松の向うに、ありありとお雪の姿が見えたような気がした。
むろん、幻覚である。
疲れている。
「近藤の部屋はどこです」
と、廊下を歩きながら、幕府の歩兵指図役らしい新品のラシャ服装の男に聞いた。
戦には出なかった男だろう。
「近藤とは、どこの近藤です」
と、ラシャ服は当然な反問をした。
「わからんか。近藤といえば、新選雲の近藤に決まっている」
歳三はどなった。むろん、尋常な神経ではない。
歳三は教えられた部屋の紙障子を、カラリとあけた。
近藤が、ひとり寝ていた。
「歳だよ」
と歳三はにじりよって、まくらもとに刀を置いた。
「敗けて来た」
「きいている」
と近藤は、ひどく力のない眼で、歳三を見上げた。
「ご苦労だった」
「傷はどうだ」
と歳三はそらした。
「肩がまるで動かない。良順(松本)先生はすぐなおる、と言って下さるのだが、動かねええのが厄介やっかいだ。いや、あと一月もすればもとどおりのなる、と言って下さってはいる」
「では、一月で戦が出来るな」
「出来るだろう
歳三はうなずき、手みじかに、戦況、隊士の働き、損害などを語った後、
「総司の方はどうだ」
と聞いた。
2024/04/16
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