~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
松 林 (一)
歳三はその足で近藤が寝ている御城代下屋敷にもどり、
「どうやらうそじゃねえな。将軍も会津中将も、城から消えた、てのは」
と、近藤の枕もとで言った。
「ああ、無事、落ちられたようだ」
近藤は小さな声で言った。落ちた、てもんじゃないよ、よ歳三はにがい顔をしてみせた。
「されば出陣する。一同部署についておれ」
と命じて奥へ引っ込むとすぐ変装し、家来にも告げず上様、殿様は逃げた。戦場からは彼らのために闘った戦士たちが帰っていないのである。彼らは、ひとことのねぎらいもかけず、負傷者の顔も見ず、逃げた。
(どうも、古今聞いたこともねえな)
歳三は頭をかかえる思いだった。
が、近藤は、京洛けいらく時代の最後の頃は「政客」として諸藩の士と交わっただけに、気持は歳三と同じではない。おぼろげながら、時勢というものがわかるのだ。
わかりかたが、珍妙なだけである。
とし、こんどの戦さァ、ただの戦じゃねえよ。ちィとちがうんだ」
「どこがちがう」
「おめえにゃ、わからねえよ」
「あんあたにはわかっているのか」
「いるさ」
大きな骨張った顔が、天井を向いている。
(どうもっわかっている顔じゃねえな)
歳三もおかしくなった。近藤の政治感覚なんどは、現代いまでいえば田舎の市会議員程度である。
政治家がもつ必要条件は、哲学を持っていること、世界史的な動向の中で物事を判断できる感覚、この二つである。幕末が煮え詰まった頃、薩長志士の巨頭たちはすべてその二要件をそなえていた
近藤には、ない。
ないが、おぼろげながら、京都時代に接触の多かった土佐藩参政後藤象二郎などの説を思い出していると、わかるような気がするのである。
近藤がもし、自分の頭の中のモヤモヤを整理出来る頭があったとすれば
「歳、あの戦さは思想戦だよ」
と言ったであろう。思想戦とは、天子を薩長に奪われたということだ。戦いなかばで薩長藩は強引に錦旗きんきい、自軍を、
「官軍」
とした。
京に官軍の旗がひるがえると同時に、もっともおそれたのは、将軍慶喜である。彼は尊王攘夷主義思想の総本山である水戸徳川家から入って一橋家を継ぎ、さらに将軍家を継いだ。
「自分が賊軍になる」
ということを最も怖れた。足利尊氏あしかがたかうじの史上の位置を連想した。幕末、倒幕、佐幕両派を問わず、すべての読書人の常識になっていたのは、南北朝史である。
南朝を追って足利幕府をつくった尊氏をもって史上最大の賊と判定したのは、水戸史学である。水戸の徳川光圀みつくにのごときは、それまで史上無名の人物にちかかった尊氏の敵楠木正成くすのきまさしげを地下から揺り起こし、史上最大の忠臣とした。幕末志士のエネルギーは、
「正成たらん」
としたところにあった。正成ほど、後世に革命のエネルギーを与えた人物はいないであろう。
京に錦旗がひるがえった時、慶喜はこれ以上戦さを続ければ自分の名が後世にどう残るかを考えた。
「第二の尊氏」
である。
その意識が、慶喜に「自軍から脱走」という類のない態度を取らせた。こういう意識で政治的進退や軍事問題を考えざるを得ないところに、幕末の、奇妙さがある。
「歳、いまは戦国時代じゃねえ。元亀げんき天正の世に生まれておれば。おまえやおれのようなやつは一国一城のあるじになれたろう。しかしどうもいまはちがう。上様が、暮夜ひそかにお城を落ちなすったのもそれだ」
それ・・だ、といいながら、近藤の頭にはそそれ・・緻密ちみつには入っていない。
なんとなくわかるような気がするのである。
「それじゃ、将軍はいい。それと一緒にずらかった会津藩主はどうだ」
「歳、言葉をつつしめ」
「たれも聞いちゃいねえ。── とのかくおれは伏見、淀川べり、八幡やはたでさんざん戦ってみて、この眼で、会津人の戦いぶりをはっきりち見た。老人、少壮、若年、あるいは士分足軽の区別なく会津藩士は骨の髄まで武士らしく戦った。もう、見事というか、いまここで話していてもおれは涙が出て来て仕様がねえ。武士はあああるべきものだ」
「わかっている」
近藤はおもおもしく言った。
「しかし歳、戦えば戦うほど足利尊氏になってしまうのがこの世の中だよ」
(なにをいってやがる)
歳三は、ぎょろっと眼をむいた。
「尊氏かなんだか知らねえが、人間、万世に照らして変わらねえものがあるはずだよ。その変わらねえ大事なもをめざして男は生きて行くもんだ」
「歳、尊氏てもにはな」
「尊氏、尊氏というが、将軍も尊氏になりたくなけりゃ、京へ押し出して薩長の手から錦旗をうばい、みずから官軍になればよいではないか」
「尊氏もそれをやった。が、やっぱり百世ののちまで賊名を着てしまった。それをご存知だから上様は城をおけになったのだ。歳は知るめえが、こういう筋は六百年の昔にちゃんと出来ているのだ」
「六百年の昔にねえ」
歳三はからかうように言った。
「すると、なんでも大昔の物語すじにあわせて行動しなきゃならねえのか」
「そうよ」
近藤はおもおもしくうなずいた。
歳三はくすくす笑って、
「どうも化け物と話しているようだ」
しかい言葉には出さず、黙って立ち上がった。
歳三には、教養、主義はないが、初学は近藤よりすぐれている。近藤のいうようなことは、百もわかっている。ただ言いたいことは、
(慶喜も幕府高官も、なまじっか学問があるために、自分の意識に勝ったり敗けたりしている)
ということであった。しかしそれをうまく云いあらわす表現が、歳三にはない。
(まあいまにみてろ。おれが薩長の連中から錦旗をひったくって慶喜らばけもの・・・・えづらかかせてやる)
2024/04/18
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