「夫婦」
といっても、はじめは芝居じみていたが、二人の人間が一ツ意識で懸命に芝居しあっていると、本気でそうなってしまうらしい。
お雪と歳三が、そうだった。
たった一夜を過ごしただけで、千夜もかさねてきたような気持ちになった。
西昭庵の二日目。──
お雪もすっかり板につき、ちょっとしたことでも、同じ時に、
「・・・・」
と、微笑しあえるようになった。同時に笑えるとおうのは、二つの感覚が相寄ってついに似通ってしまわなけれえば、そうはいかないっであろう。
午後、歳三が、
(今日も夕陽が見られるかな)
と、西の障子をあけ、浪華の町のむこう、北摂の山なみを、町並を遠見にながめていると、言葉には出さなかったはずなのに、お雪が、
「この雲の模様では、いかがでございましょう」
と言った。なるほど雲が出ている。
「見とうございますわ、今日も」
「しかし月の名所はきいているが夕陽の名所というのはめずらしいからな。この家の名も西昭庵というから、夕陽だけが売りものなのだろう」
「でも。昭の字が、照ではございませんね」
「照では、ぎらぎらすすぎるようだから、昭を用いらのかも知れない。昭のほうがあかあかとしているうちにも、寂光といったしずけさがあって、夕陽らしい」
「豊玉宗匠。──」
お雪は忍び笑って、歳三をからかった。さすが俳句をひねるだけあって、漢字に対する語感も研とがれているのであろう。
西昭庵には、茶室がある。
そのあと、お雪は、炉の支度などをして、歳三を呼んだ。歳三は、炉の前に坐った。
「私には、茶が出来ない」
「お喫のみになるだけでよろしゅうございます」
「この菓子は?」
「京の亀屋陸奥むつの松風まつかぜでございます」
(京。・・・)
と聞くだけで、歳三はそくそくと迫るような感慨が湧わき上がってくる。京の町が好きなのではない。京の町にうずめた歳月が、思い出すにはあまりにもなまなましすぎるのであろう。
お雪はすぐ察したらしく、あわてて話題を変えようとしたが、いったん沈黙にのめり込んでしまった歳三を引き戻すことは出来なかった。
歳三は黙って茶碗をとりあげ、ひと口呑み、しばらく考えてから、ぐっとあおるように一気に呑んだ。
「いかがでございました」
「ふむ?」
夢から醒さめたように顔をあげ、
「結構だった」
と口もとの青い泡あわを、懐紙でぬぐった。
「お雪どのは、絵の修業でずっとこの後も京に住むつもりか」
「そのつもりでいます。江戸の帰っても戻る家がございません。──世が治まれば」
お雪は、つい二人の間に禁句を言った。
「治まれば、歳三さまとご一緒に住めましょうか」
「将来さきのことはわからぬ。茶の湯でいうように、一期いちごの縁を深めるほかに、われわれの仕合せはないように思う。わしはこの先流離りゅうりにも似た戦いをつづけてゆくか、それとも一挙に世を徳川のむかしへもどし得るか、将来さきのことはわからぬものだ。こういう男と縁の出来たそなたが哀れに思う」
「いいえ、お雪は、自分の現在いまほどの仕合せはないと思っています」
不幸な結婚を前歴に持つお雪は、あああいった暮しを何年続けていても、このふつかふた夜の思い出には及ばないと思っている。
「── ただ」
絶句して、お雪は顔を伏せた。肩で、泣いている。この二日ふた夜が、万年も続けばよい、とつい望めぬことを思ったのであろう。
「もう時刻かな」
歳三は、懐中の時計を取り出した。夕陽を待っている。すでに刻限にまぢかい。
「西の縁へ参りましょう。わたくしはここを片づけてから参りますから、おさきに」
西の縁側に立った。
が、雪がいよいよ低くなっていて、わずかに西の空に朱がにじんでいる。
「お雪、だめなようだな」
と、奥へ大声で言った。
「夕陽が?」
とお雪が出て来た。
「まあ、やはりだめでございますね。でも、昨日あれだけ綺麗きれいな夕陽をみたから」
「そう、それでいい。昨日の夕陽が、今日も見られるというぐあいに人の世は出来ないものらしい」
陽が落ちると、急に部屋の中が薄暗くなり、ひえびえとしてきた。
「寝ようか」
と、なにげなく歳三が言ってから、お雪を見た。
耳もとが、赫あかくなっている。
|