~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
北 征 (三)
弾左衛門は、幕府の身分制度によって差別された階級の統率者である。
近藤は老中に交渉し、この階級の差別を撤廃せしめ、かつ弾左衛門をして旗本に取り立てる手続きをとってやった。
弾左衛門は大いに喜び、
「人数と軍資金を差し出しましょう」
と、金は一万両、人数は二百人を近藤の指揮下に入れた。
土方は、これら新徴の連中に洋式軍服うぃ着せ、即成の洋式訓練をほどこした。
調練といっても、ミニエー銃(元込め銃)の操法だけだが、近藤は、
「歳、いつの間に身につけた」
と、驚いた。
徳川家からは、砲二門、小銃五百ちょうが支給され、軍の基礎はほぼ成り、名称は、
「甲陽鎮撫ちんぶ隊」
とした。
幹部は、新選組隊士である。
入院加療者のほかに十数人が脱走したため、二十人足らずにまで減ってしまっていた。
しかし、近藤は毎日上機嫌じょうきげんであった。
ある日、歳三が調練から帰ると、
「歳、これが甲府城(舞鶴城)の見取図だ」
とひろげてみせた。
「ふむ」
歳三は、ほぼ見当がつくし、江戸から甲府への道(甲州街道)も、若い頃薬の行商をして何度往復したかわからない。
予想戦場として、これほど都合のいい地方はなかった。
「甲州をおさえた場合、それぞれの石高こくだかをおれは考えてみた」
「ふむ」
歳三は、近藤の顔を見た。
相好そうごうをくずしている。
「おれは十万石、これは動くまい。歳には五百石をくれてやる」
「・・・・」
「総司(沖田)の」やつは病気だが、これには三万石。永倉新八、原田左之助、斎藤一ら副長助勤にも三万石。大石鍬次郎ら監察には一万石、島田魁ら伍長ごちょう連中には五千石、平隊士にも均等に千石」
「ほう」
「どうだ、右は老中にも話してある。諒承りょうしょうも得た」
「あんたは、いい人だな」
歳三は、本心から思った。
幕府瓦解の時に、大名になることを考えた男は、近藤勇ただ一人であったろう。
「戦国の世に生まれておれば、一国一城のあるじになる人だ」
「そうかね」
「ただ、いまは戦国の世じゃねえよ。たとえ薩長をぶち破って徳川の世を再来させ得たとしても、大名制度は復活すまし。フランス国と同様、郡県制度にしようという考えが、大政奉還以前から、幕閣の一部にはあったと聞いている」
洋夷よういかぶれのばかげた意見さ。権現様ごんげんさま以来の祖法てものがある」
「まあ、、どっちでもいいことだ」
歳三は、作戦計画に没頭していた。致命的なことは、兵力の不足であった。せめて二千人はほしかった。
(二百余人で果たして甲州が取れるか)
甲府城に入場すれば、土地の農民に呼びかけて、増兵をする予定ではいる。それがうまくゆくか、どうか。
「なに、大丈夫さ。城を取れば、すでに百万石の領主と同然だ。郷士、庄屋しょうやに命じて村々で壮士を選ばせれば、万は集まる」
と、近藤は楽観的であった。
なるほどそうかも知れない、と歳三は思った。世情が、こうこんとんとしてしまった以上、何事もやってみる以外に見当のつけようがない。
出発に先立って、歳三は平隊士数人を連れ、神田和泉橋の医学所の一隅いちぐうで寝ている沖田総司の病状を見舞った。
見舞った、というより、医学所は、もう閉鎖同然になり医者もいなくなっていたから、沖田の体を別の場所に移すためであった。
総司のただ一人の肉親である姉のお光、それにお光の婿むこ沖田林太郎(庄内藩預り新徴組隊士)も一緒だった。
あたらしい療養場所は、林太郎の懇意で千駄ケ谷池橋尻に住む植木屋平五郎方の離れを借りることになっている。
沖田はすっかり病み衰えていたが、声だけは以外に張りがあり、
「土方さん、私は三万石だそうですね」
と、くすくす笑った。
「なんだ、近藤がいったのか」
「いいえ、先日、見舞いに来た相馬主計そうまかずえ君が教えてくれましたよ」
(すると、近藤は一同に話したらしいな)
近藤にすれば、士気を鼓舞するつもりで、打ち明けたのだろう。
しかし相馬などは、沖田を見舞いに来たその足で脱走してしまっている。万石、千石の夢も、もはや隊士をれなくなっている証拠であった。
「総司、よくなれよ」
「ええ、三万石のためにもね」
と、沖田はまたくすっと笑った。
歳三は、千駄ケ谷の植木屋まで沖田を送ると、その足で屯所へ戻った。
あすは、甲州へ発つ。
(こんどこそ、洋式銃で対等の戦をしてみごと伏見の仇を討ってやる)
二重ふたえの厚ぽったい眼が、あいかわらずきらきらと光っていた。
2024/04/27
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