駕籠より出た近藤は、髪を後ろにたばね丸羽織に白緒の草履をはき、表庭を玄関へ歩いて来。
近藤は、彦五郎とともに出迎えていた彼の老父の源之助の顔を遠くからニコニコ笑いながら見て、
「やあ、お丈夫ですな」
と声をかけた。これから戦争に行くというような風は、少しも見えなかった。
土方歳三は、総髪で洋服姿であった。
一同を奥の間へ招じ入れ彦五郎は久し振りの喜びで、珍味佳肴をそろえて大いにもてなした。
酒盃をとっ近藤、負傷の右手が胸ぐらいにしかあがらず、少し痛い、と顔をしかめた、
「なにこっちなら、このとおり」
と左手でグイグイと呑んだ。
近藤は、あまり酒をたしなまない。グイグイと言っても、おそらく、二、三ばいぐらいのものだったのだろうが、それほど意気軒昂けんこうとしていたのであろう。
「その間に歳三は」
と、この記録にはある。
席をはずして別室へ行き、姉のおのぶに会った。末弟の自分を母親がわりに育ててくれた姉である。(記録者仁氏の祖母にあたる)
「しばらくでした」
と、歳三は鄭重ていちょうに挨拶し、用意の風呂敷を解いた。
「それはなんですか」
おのぶは、のぞき込んだ。中から、真赤な縮緬地ちりめんじものが出て来た。
昔の絵物語などで、騎馬武者が背負っている
母衣ほろ
である。ふわりと風が入るものでおそらく二、三間はあるだろ。
「母衣ですね」
と、おのぶが言った。
「よくご存知ですな」
「そりゃ」
おのぶは手短く、
「武者絵なんかで見ますから。しかしなぜこんなものをあなたがお持ちです」
「書院番頭しょいんばんがしらに召し出された時、将軍家から拝領したものです」
「ずいぶんと出世したものですね」
「出、かな」
歳三、自問するように首をひねって、
「ただ、身をもって時勢の変転を見た、ということではおもしろかった。多摩の百姓の末っ子が大旗本にまでなった、というのも変転のひとつですよ。出世じゃない」
「このさき、どうするのです」
「この将来さきですか」
と、歳三は声を落したが、すぐ、この男にはめずらしく声高で笑ってごまかしてしまった。
と、記録にはある。
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