そのころ、日野宿の佐藤屋敷に斥候が駈かけ戻って来て、甲信方面のうわさを伝えた。
官軍がすでに上諏訪、下諏訪にまで来ているという。
「えっ、そこまで来ているのか」
とは、近藤は言わなかった。しかし表情に驚きが出ている。
「歳、行こう」
近藤は、別室にしりぞき、いそいで羽織を脱ぎ捨てて鎖帷子くさりかたびらを着込み、撃剣の胴をつけ、陣羽織をはおった。
駕籠も捨てた。
草鞋を履き、二、三度土間で踏みしめてから、
「馬をひけ」
と、門を出た。顔が赤い。その頬ほおを、どっと吹雪が叩いた。
「ひでえ、雪だ」
と、馬上の人になった。もう、往年の近藤に戻っている。
軍が、動きだした。
が、すぐ陽ひが落ち、与瀬に宿泊。
一方、官軍の一部先鋒せんぽう部隊はその夜行軍をして早暁にはうあくも甲府城下に入った。
官軍代表はただちに使いを城中に出し、城代佐藤駿河守、代官中山清一郎に本営に来るように申し渡した。
むろん佐藤、中山は決戦の意を固めていたが、肝心の近藤が来な。
「新選組はなにをしているのだ」
と、青くなった。
新選組が先着しておれば、籠城ろうじょう決戦という手はずが決められていたのである。
「やむを得ぬ。近藤の到着まで、出来るだけ時間を稼ぐことだ」
と、佐藤駿河守は、とりあえず恭順をよそおって官軍先鋒の本営へ行った。
官軍側は、城中にの武器一切を城外に出したうえで開城するよう申し渡した。
「委細承知つかまつっております。なにぶん火急のことでございますから、城中整いませぬ。開城の日時は、武器お引渡しの手はずが整い次第お知らせします」
と、佐藤駿河守はとりあえず官軍をおさえ、城内に戻ってひたすらに新選組の来着を待った。
が、官軍も油断がない。
甲州街道ぞいにしきりと諜者をはなって情報を集めていると、
「幕将大久保大和やまと(近藤)なる者、国府鎮撫を名として急行進軍しつつあり、今夜中にかならず甲府に入るであろう」
という情報に接した。
「一刻をあらそう」
と、官軍先鋒も判断し、少数部隊ながらも一挙に城を接収するために佐藤駿河守の期日通告を待たずに城に迫った。
佐藤は驚き、やむなく開城、官軍に城を渡してしまった。
その日、近藤らは笹子ささご峠を越してようやく駒飼こまかいの山村に入っている。
駒飼に宿営した。この山村から、山路はくだる一方で、もはや甲州盆地は、あと二里である。盆地におりれば激戦が待っているであろう。
隊の連中は、民家に宿営した。
ところが、それらの民家はすでに甲府での官軍の入城、軍容が細大もらさず伝わっている。
新徴の隊士は村民からそれらを聞き、大いに動揺して、その夜のうちに半分いなくなった。
近藤はこれには閉口し、
「会津の援兵が来る」
と隊内で宣伝したが、動揺はおさえられない。
「歳、どうする」
と、相談した。もう長棒引戸の大名駕籠に乗っていた時の得意の顔色はない。
「ちょっと、神奈川へ行って来る」
と歳三は、立ち上がった。神奈川には、幕軍で菜葉隊なっぱたいというのが、千六百人駐屯している。これに救援を頼むつもりだった。
「この夜分に?」
「仕方あるまい」
本営から馬を引き出すと、ただ、一騎、提灯ちょうちんもつけずに駈け出した。
が、すでにおそく、官軍側は、甲陽鎮撫隊も動向を偵察ていさつしきっていて、土州の谷守部(のちの千城たてき、中将)らを隊長とする攻撃隊が準備を整えつつあった。
しかし、当面の敵が、まさか、すぐる年京で土州藩士を多数斬った新選組であろうとは、彼らもそこまで偵知していない。
|