~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
勝 沼 の 戦い (三)
近藤は柏尾山上にいる。
「来た」
と、原田左之助がのびあがった。
「近藤先生、赤のシャグマだとすると、土州の連中ですよ」
薩州が黒、長州が白、土州が赤、ということに決まっている。
この三藩はすべて様式化されていたが、それでも戦闘法に特徴があり、おなじ小銃射撃法でも長州は臥射ねうち、薩州は立射たちうち、土州は射撃をすぐやめてり込みをやった。
「土佐か」
近藤には、とりわけ敵に対する知識はなかったが、思い出されるのは京のことである。
「池田屋では、土佐のやつをずいぶん斬ったものだ。野老山ところやま五吉郎ごきちろう、石川潤次郎、北添佶麿よしまろ、望月亀弥太・・・」
「そうだったねえ」
原田左之助も、往事を思って茫然ぼうぜんたる顔つきである。
「それから、天王山の一番乗り」
と、横で、永倉新八が言った。
元治元年蛤御門ノ変で、長州軍が敗走し、そのうちの浪士隊が天王山に籠った。幕軍がこれを包囲し、新選組が真っ先かけて駈けのぼった。
が、そこには真木和泉ら十七人の志士の自刃じじん死体があっただけである。そのうちの土州浪士は、松山深蔵、千屋菊次郎、能勢のせ達太郎、安藤真之助。
「時勢も変われば変わるものだ」
近藤は、往事の夢が覚めやらぬおももちでいる。
「永倉君、池田屋では、最初、君など五人で斬り込んだものだった。それでもどうとも思わなかったが」
いまは、ちがう。
当時は、京都守護職から動員された諸藩の警戒兵が三千もあり、その包囲警戒の中で新選組は、ぞんぶんに斬り込むことが出来た。
当時は時流に乗ったからこそ働けたが、今は相手が時流に乗って来ている。
近藤の天然理心流の術語でいえば、双方の「気」の差が大きい。
(はて、戦になるかどうか)
にわか募集の兵は、大半逃げてしまって、残っている連中も、山肌やまはだに張り付いて動かない。
「尾形君」
と、近藤は、眼下の街道わきに身を寄せている尾形俊太郎を呼んだ。
「敵が近づいている。そろそろ橋向うに火をかけたほうがいいだろう」
「承知しました」
尾形は、農兵十人ほどに松明たいまつをもたせ、橋向うに突進して、たちまち民家数軒に火をかけた。
ぼーっ、と数条の火があがり、もうもうたる白煙が、近藤陣地の前面をおおいはじめた。古法による戦術で、煙幕の役目をはたすし、民家も敵の銃隊に利用されることを防げる。
2024/05/04
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