~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
勝 沼 の 戦い (四)
この白煙を、谷守部らが見て、ほぼ敵陣地の位置がわかった。
「兵を三道にわかとう」
と、谷守部は敵陣の地形を遠望しながら言った。諸隊長も、賛成した。
谷自身は、五十人に砲二門率いて本街道を直進する。
片岡健吉、小笠原謙吉は、五百人を率いて敵前面の日川ひがわを渡り、右手の山を攀じ登って進む。
長谷重喜は左手の山に登り、山上、街道上の敵を乱撃しつつ前進する。
「では」
と、谷守部がうなずくと、諸隊長は四方に走って自隊にもどり、ただちに前進した。
この軽快さは、組織された藩兵の強味である。
やがて日川東岸に達すると、双方、猛烈な射撃戦を開始した。
近藤は山上に突っ立た。
(歳はまだ帰らんか)
ふと背後を見わたしたが、鬼神でもなかぎり、こう早くは神奈川との往復が出来るはずがない。
「射て、射て」
近藤は、れぬ射撃指揮をしていたが、にわか集めの射手たちは、ミニエー銃を一発ぶっぱなしては十歩逃げるというていたらく・・・・・で、どうみても戦をする恰好ではない。
「やむを得ぬ。斬り込め」
近藤は、どなった。が、往年の新選組幹部たちは、みな銃隊の指揮者になって、あちこちに散らばっているために、結束した白兵部隊にはならない。
近藤のそばには、「近習きんじゅう」として、京都以来の兵隊士三品一郎、松原新太郎、佐久間健助などがいる。
これらが抜きつれた。
前面の稜線りょうせん上にすでに敵がい上がって来て、目鼻立ちまでなっきりと見える。
「斬り込め」
近藤は、走った。右手が利かないために、刀を左手に持っている。
衝突した土州部隊は、小笠原謙吉の隊である。先鋒せんぽうのみだから十数人しかいない。
山上で、乱闘になった。
近藤は、左手ながらもすさまじく働き、たちまち土州兵三人を斬り捨て、さらに荒れ狂った。
(何者だ)
と、小笠原謙吉は思った。小笠原は槍術そうじゅつの妙手といわれた男だが、むろんやりを戦場に持って来ていない。
剣を抜いて戦った。
近藤に肉薄しようとして、一隊士(松原新太郎か)に邪魔された。
飛び上がりざま、松原の肩を斬った。松原がよろめくところを、小笠原隊の半隊長今村和助が、背後から斬りさげ、さらにとどめを刺した。あとでこの松原(?)の刀を検分すると、あとがみなつばもとから五寸以内にあい、つばぜりあい・・・・・・の激闘をしたことを思わせる。
近藤は、敵の人数がいよいよ増えて来るのに閉口し、
退くんだ」
と一令すると、すばやく背後の松林に逃げ込み、さらに笹子峠に向って退却しはじめた。
笹子峠で敗兵をまとめ、攻めのぼって来る敵にさらに一撃をあたえようとしたが、原田左之助が気のない顔で、
「よそう」
と言った。
「そうか、八王子まで退くか」
八王子までひきあげると、兵はもう五十そこそこになっている。
「いかん、江戸まで帰ろう」
と、ここで甲陽鎮撫隊を解散し、新選組はそれぞれ平服に着替えて、三々五々、江戸へ落ちることにした。
そのころ歳三も、東海道を江戸へ向かって走っていた。
神奈川で援軍を断わられ、この上は江戸へもどって前将軍慶喜にかけあい、直接兵を借りようと思ったのである。
むろん、歳三は、甲州で近藤がすでに潰走かいそうしていようとは、夢にも知らない。
2024/05/04
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