~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
流 山 の 屯 集 (一)
「いや惨敗ざんぱい。夢、夢だな」
近藤は、神田和泉橋いずみばしの医学所のベッドの上で、高笑いをした。
声がうつろである。
故郷の南多摩の連中が、野菜をかついで見舞いに来ているのである。
ガラス窓に三月のざしがあたって、室内は体がえるように暖かい。
「どうも甲州くんだりまで行って、得たものというのは古傷の破れだけさ。官軍があああも早く甲府城に入っているとは知らなかった」
「官軍の先鋒せんぽうはもう武州深谷ふかやにまで来ているという噂ですよ」
と、ひとりが言った。
事実である。官軍総督府では、江戸城進撃の日を三月十五日と決めていた。
この日、三月七日。江戸もあとわずかの命脈である。そこへ歳三がすっかりやつれた顔で入って来た。江戸へ敗退した近藤を探し求めて、やっとつきとめてやって来たのである。
「済まぬ」
歳三は頭を垂れた。
神奈川、江戸、と八方かけまわって援軍を頼んだが、ついに一兵も得られなかった。
「敗軍はおれのせいだった」
「なあに、歳」
近藤は、時勢をなかばあきらめはじめている。
「あの時たとえ援軍が来ていても手遅れよ。西から来た官軍の足の方が早かった。足の競争だから、こいつは恥にもならない」
やがて、八王子でちりぢりばらばらになった原田左之助、永倉新八、林信太朗、前野五郎、中条常八郎ら、新選組の同志がやって来た。
「ずいぶん探した」
と、永倉が言った。
再挙を相談したい、と永倉、原田は、敗戦の疲れなどは少しもない。
今宵こよい、日が暮れてから、深川森下の大久保主膳正しゅぜんのしょう殿の屋敷に集まってもらえまおか」
と永倉新八は言うのだ。
(おや、いつの間に永倉、原田が隊の主導権を握った)
と歳三は内心不快だったが、よく考えてみると、隊などはどこにもない。みな、今では個人にもどってしまっている。個人としても、永倉、原田、大御番組の身分で、りっぱな徳川家の家臣である。
「集まっていただけましょうな」
と永倉が念を押すと、近藤はべつに気にとめるふうもなく、行くよ、とうなずいた。
近藤、歳三のふたりは、その夕、大久保屋敷に行った。主人の主膳正は、最近まで京都の町奉行だった男だから、近藤も歳三もよく知っている。
会合はその書院を借りた。
すでに五、六人、頭数が揃っていたから近藤は、やあやあ、といって上座についた。
酒肴しゅこうが出る。
2024/05/05
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