さて、話は深川森下の大久保主膳正の屋敷の書院。
ここでの近藤の態度は、ひどく尊大なように永倉、原田ら旧幹部にとれた。
じつは、永倉、原田には具体案がある。
「近藤さん、直参で芳賀宣通、このひとは深川冬木弁天の境内に神道無念流の道場をもっていて、門人が多い。この芳賀氏が、ぜひ合流して一隊を組織して官軍に対抗しようというのです」
と永倉は言った。
江戸に帰ると永倉新八はじつに顔が広い。
思い出してみると、文久二年の暮れ、幕府が浪士隊を徴募するという噂を聞き出して来たのも、この永倉、そして死んだ山南敬助、藤堂平助であった。
永倉は御書院番の芳賀宣通と同流というだけでなく、旧友である。永倉新八は松前藩脱藩、この芳賀ももとは松前藩士で、のち旗本の芳賀家に養子として入った男である。
「いかがです、土方さん」
「ふむ」
歳三はこうおいう時に意見を言わない。癖である。だから陰険といわれた。
「近藤さん、いかがです」
と、永倉は鋭く近藤をみつめた。解党すれば近藤は局長でもなんでもない、単に同志に向って家臣に対するような態度をとる近藤を、永倉はもう許せなくなっている。
近藤は江戸に帰ってから、
── 君らは私の家臣同様だから。
と失言したことがある。その一言で傘下さんかを去った京都以来の同志が数人いるのだ。
(だから新党を作った時には、あくまでも芳賀を中心とし、近藤、土方を客分程度にする)
と、永倉、原田は思っていた。
「その芳賀というのは、どういう仁じんだ」
「人物です」
永倉はことさらに強調した。
近藤は心中、物憂ものうくなっている。いまさら見も知らぬ男と一緒に事をなすのは、どいう考えても気が重い。
その気分が議論に乗り移って、どちらかといえば恭順論者のような意見を吐いた。
「近藤さん、残念だがあなたを見損なった」
原田は、これが訣別べいべつの機しおだと思って立ち上がった。
「まあまあ」
と近藤はおさえ、
「歳は、先程から黙っているが、どうなのだ」
と言った。歳三、顔をあげた。膝ひざの上で猪口ちょこをなぶっている。
「私は会津へ行くよ」
あっ、と一同は歳三を見た。会津へ行く、とおいう案は、ついぞたれの頭にもうかんでいない。会津はなお、薩長に対する強力な対抗勢力なのである。
「江戸で戦はむりだ」
「むりじゃない」
原田は怒号した。
歳三はぎょろりと原田を見て、
「君はやりたまえ。私はここでいくら戦をやっても勝てないとみている」
と言った。数日前、援軍依頼で駈けまわった実感でそてがわかるのだ
譜代の旗本には戦意がない。戦意のある連中も、前将軍の「絶対恭順」にひきずられて十分な行動が出来ない。
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