~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
流 山 屯 集 (四)
「江戸は、われわれの甲州行きを見殺した。そういう土地で味方を得られるはずがない」
「では土方さん、どうするのだ」
「流山」
「ながれやま?」
下総しもうさ(千葉県)では富裕な地だ。私は多少知っている。さいわい天領(幕府領)の地だし、ここに屯営とんえいをすえて近在から隊士を募集し、二百人にも達すれば奥州おうしゅうへ行く。奥州は山河磽确こうかくなりといえども、兵は強い。西国諸藩の横暴に対する批判も強かろう。薩長がたとえ江戸城をおとしても、奥州の団結の前には歯が立つまい」
「歳」
近藤がびっくりしている。
「たいそうな広言だな」
「そうかえ」
歳三は、猪口のふちをきゅっとこすった。
「しかし歳」
「ななんだ」
「勝てるのか」
「勝てるか勝てないか、やってみなけれなわからないよ。おらァもう、勝敗は考えない。ただ命のある限り戦う。どうやらおれのおもしろい生涯が、やっと幕をあけたようだ」
「お前は、多摩川べりで走りまわっていたころから喧嘩師けんかしだったなあ」
「まあね」
歳三は、そっと猪口を置くと、はかまをはらって立ち上がった。
「原田君、永倉君。こう時勢がひっくりかえっちゃ、もとの新選組で行くわけにはいくまい。たれにも意見というものがある。京都のころは、みなの意見を圧殺しておれは新選組を強くすることに躍起となった。その新選組がなくなった。別れるさ」
と、原田の肩を叩いた。
原田はしょんぼりした。
「みな自分の道を行こう」
歳三は、さっさと玄関へ出た。そのあとを近藤がついて来た。
夜の町を歩きながら、
「歳、またおれとお前に戻ったな」
と近藤が言った。
「いや、沖田総司がいる」
「ふむ、総司。所詮しょせんは天然理心流の三人ということか。伏見で討死した井上源三郎がおれば、四人」
「しかし総司は病人、井上は死んだ」
「とすれば、おれとお前だけか」
星が出ている。
近藤は星に向って大きな口で笑った。もとのもくあみ・・・・・・・の近藤、土方、というところであろう。
「ところで、歳、流山へ行くのか」
「行くさ。あんたが隊長だ。。私が副長」
「兵が集まるかねえ」
近藤は気乗りがしないようであった。彼は鳥羽伏見には参加していなかったから、甲州ではじめて近代戰を体験した。しかも近藤にすれば最初の敗戦である。その後、ひどく気落ちがしている。
(この人はやはり、時勢に乗ってはじめて英雄になれる人だな)
歳三は皮肉な眼で、近藤をみている。
「私は喧嘩師だそうだからね、行く所まで行くんだけれどみ、近藤さんはいやなら行かなくてもいいよ」
「いや、行く」
行く以外に、どこに安住の場所があるか。いま三道にわかれて怒涛どとうのように押し寄せつつある官軍のどの参謀の脳裏にも、かつての新選組への復仇ふっきゅうの気持があるであろう。
「地の果てまで行くのさ」
歳三は元気よく笑った。江戸が自分たちと共に戦ってくれないとすれば、戦ってくれる場所を求めて行くのが、これからの自分と近藤の生涯ではないか。
「歳、俳句ができねえか」
と、近藤は急に話題を変えた。
歳三はしばらく黙っていたが、やがてポンと石をった。
「京のころは、ありあい出来たがね。公用に出て行く道や春の月」
「はっははは、思い出すねえ。都の大路小路は、おれとお前の剣でふるえあがったものだ」
「今後も慄えあがるだろう」
「そうありてえ」
近藤も石を一つ蹴った。こうして並んで夜道を歩いていると、なんとなく子供の頃の気持に戻るようである。
2024/05/06
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