歳三は、フランス士官服に、馬上。
おなじ服装の大鳥圭介と馬を並べ中軍の先頭を行軍した。
十二日、松戸で、甲冑武者に率いられ約五十人の郷士、農兵が参加。
十五日、諸川宿で、幕臣加藤平内、三宅大学、牧野span>主計かずえ、天野加賀らが御料兵を率いて参加し、いよいよ軍容はふくれあがった。
十六日、先鋒の第一大隊(砲二門付属)が小山おやま(現栃木県木山市)で官軍小部隊と交戦し、敗走させたうえ大砲一門を奪った。
十七日、おなじく小山方面で、中軍が約二百人の官軍と衝突し、砲二門、馬二頭、旧式のゲーベル銃その他の戦利品があった。
この両日の敵軍は、新式装備の薩長土三藩の兵ではなく、おなじ官軍でも、彦根藩、笠間藩といった旧式装備の、しかも戦意薄い連中ばかりであった。
とにかく、破竹の勢い、と言っていい。
この日の昼食は小山宿でとった。
人口三千、下野しもつけきっての宿場である。
大鳥、歳三以下の士官らが本陣に休息していると、にわかに門前がさわがしくなり、村民がぞくぞくやって来て、酒樽さかだるをどんどん持ち込み、赤飯を炊たいて戦勝を祝した。
大鳥は、ひどく喜び、集合のラッパを吹かせて四方に散っている諸隊を本陣の付近に集め、酒樽の鏡を抜き、
「今日は東照宮の御祭日である。はいなくも今日勝利をおさめたのは、徳川氏再興疑いなしという神示であろう」
と、大いに士気を鼓舞した。たちまち小山の旅籠という旅籠は戦勝の兵でいっぱいになり、飯盛女めしもりおんなが総出でもてなし、宿場は昼っぱからの絃歌げんかで割れるほどの騒ぎになった。
(これがフランス流か)
歳三は、本陣の奥にまで響いて来る弦歌をじっと聞きながら思った。
「大鳥さん、この宿場に今夜は泊まるつもりですか」
「そのつもりです」
大鳥は、得意であった。大鳥自身まだ弾丸の中をくぐってはいないが、戦とはこうも容易なものかと思ったらしい。
「ここで兵をやすめ、士気を大いに煽って宇都宮に押し出したい」
「まずいよ」
歳三は笑いだした。
「こうも浮かれちゃ、四方の官軍の耳にとっくに入っているだろう。今夜あたり夜襲をかけてくれば、三味線をかかえて逃げなきゃならない」
「・・・・・」
「それに、この宿場は四方田ンぼで守るにむずかしい。ここから壬生街道を北に二里、飯塚という小村がある。三拝さんぱい川、姿川がこれをはさんで天然の濠ほりをなしているから、全軍そこに宿営するが良策と思うが」
「さあ」
大鳥は播州の出だから関東の兵要地誌に暗い。それに、この男は、大将のくせに地形偵察ていさつというのはすべて人まかせで、自分でいっさい見に行こうとしない。
「なるほどそれも一策だが、すでに飯塚あたりには敵が来ていると見ていいが」
「来ていれば、いよいよこの小山が危ないでしょう。、まあいい。宿割りをしがてら、私が偵察に行きましょう」
歳三は、本陣の庭に降り、洋式装備の伝習隊二百人を集め、さらに砲一門を先頭にひかせて出発した。四囲すべて敵地とみていいから、偵察もいきおい、威力偵察になる。
ところが、歳三の偵察部隊が小山宿を出ようとした時、にわかに東方で砲声がおこり、結城ゆうき方面から三百人ほどの官軍(彦根兵)が攻めて来た。
(来た)
と歳三は馬頭をめぐらし、
「おれについて来い」
と宿場の中央路を駈け出した。どっと伝習隊が一かたまりになって駈けた。
砲弾が、いくつか宿場の中に落ちた。
歳三が予想した通り、、宿場の中では、目も当てられぬ騒ぎ、飯盛女が長襦袢ながじゅばん一つで路上に飛び出して逃げまどったり、酔っ払った兵が、銃を忘れて桑畑に逃げ込んだり、軍紀物にある平家の狼狽ろうばいぶりもこうかと思われるような光景である。
歳三は宿場はずれに出ると、馬から飛び降り、様式兵書で読み覚えた通り、銃兵に散開を命じ、街道を直進して来る彦根の旧式部隊に向って、はげしく射撃させた。
やがて砲が進出してきた。
それが一発射撃するごとに、散兵を前進させ、やがて佐久間悌二ていじという者の指揮する半隊のそばへ駈け寄り、
「あのくぬぎ林」
と東南一丁ほど向うの林を指さし、
「あの林の後方へまわってむこうから敵を包むようにしろ」
と命じすて、さらに自分は、旧新選組の斎藤以下六人を連れて左側の桑畑へ入り、桑を縫って敵の側面に出た。
斎藤らも、銃を持っている。
射撃をしては走り、走っては射撃し、やがて敵と十間の所まで来た時、歳三は白刃をかざし、
「突っ込め」
と路上の敵の中に躍り込んだ。
最初の男を右げさ・・に斬りおろし、その切尖きっさきをわずかにあげてその背後の男を刺し、手もとにひくと同時に、横の男の胴をはらった。
歳三は三人、斎藤も同数、野村利三郎は二人を斬った。
機をうつさず伝習隊が突撃して来て、彦根兵は算を乱して潰走かいそうした。
敵が遺棄した死体二十四、五、武器は仏式山砲三門、水戸製和砲九門である。 |