~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
沖 田 総 司 (二)
総司が起居した千駄ヶ谷池橋尻の植木屋平五郎の納屋、といっても厳密には納屋ではなく、改造して畳建具なども入っていた。
明り障子は南面しているから陽当たりはいい。
少し気分が悪いと障子を開けてぼんやり外を見ている。
景色はよくない。向う二十町ばかりは百姓地で大根などが植わっている。
身のまわりの世話をしている老婆ろうばが、
「よくおきになりませんね」
と呆れるほど、長い時間、おなじ姿勢で見ている。
老婆は、この青年が、かつて京洛の浪士をふるえあがらせた新選組の沖田総司であることは知らされtいない。
「井上宗次郎」
という名にしてある。もし沖田だとわかれば、官軍がうるさい。総司は療養というより潜伏している、というほうが正確だった。
老婆も、身元は知っている。庄内藩士沖田林太郎の義弟、ということであった。
お光も老婆には、
── 藩邸のお長屋ですと、病気が病気ですから、ひとに嫌がられますので。
と言ってある。すじの通った話である。
ちなみに、お光の夫林太郎はいつかも触れたが、八王子千人同心井上松五郎家の出で、やはり近藤の父周斎の門人であり、天然理心流の免許を得、入り婿むこのかたちで沖田姓を継いだ。
沖田家のちゃくし子総司がまだ幼かったからである。
林太郎は、総司らが京へのぼったあと江戸で新徴組隊士となり、新徴組が幕府の手から離れた後、いまは庄内藩に属し、藩邸のお長屋に住んでいる。男の子があり、芳次郎といった。その子がかなめ、この家系がいま立川市に残っている。以上余談。
慶応四年二月下旬、庄内藩主酒井忠篤ただあつが江戸を引き払って帰国した。
あとに家老が残り、江戸屋敷の処分や残務整理をしている。
沖田林太郎は残留組になったが、いずれは出羽庄内へ行かねばならないであろう。
その江戸引き揚げの時が総司との性別の日になる、とお光はその日の来るのをおそれていた。
ついに来た。
四月であった。偶然三日である。この日、近藤は流山の官軍陣地にみずから行き、両刀を渡してしまっている。
お光はそういうことは知らない。この朝あわただしく駈け込んで来て、
「総司さん、私どもは庄内へ行きます」
と言った。
総司の微笑が、急に消えた。
が、しぐいつものこの若者の表情にもどり、
「そうですか」
と布団の中から手をさしのばした。おそろしいほどにせていた。
お光は、その手を見た。
どういう意味だか、とっさに呑み込めなかったのである。
総司は、姉にその手を握ってもらいたかったのだ。
が、お光は、動顚どうてんしていた。
江戸に残る弟は、その先どうなるのか。
お光は夢中になってそのあたりを片づけていた。手と体を動かしているだけである。
お金だけが頼りだと思い、林太郎に渡ったお手当のほとんどを総司の布団の下に差し入れた。
にわかのことだから」
と、お光は泣きながら、総司の身のまわりのものを大きな柳行李やなぎごうりに詰めている。詰めてどうなるものでもないのに、その作業にだけ熱中した。総司が京都で使った菊一文字の佩刀はいとうもその中に収めた。
総司はそういう姉を、枕の上からじっと見ている。
(刀までしまって、どういうつもりだろう)
姉のあわてぶりがおかしかったのか、顔は笑わず、肩だけをすぼめた。
2024/05/28
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