~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
陸 軍 奉 行 並 (三)
九月三日、仙台藩では、城内応接所に旧幕軍首脳を招き、仙台藩代表と共に、官軍来襲の場合を想定して、作戦会議を開いている。
ところがその後十日もたたぬうちに、藩論が軟化し、ついに九月十三日官軍への帰順を決定、藩の要路から主戦派の重役がいっせいにしりぞけられた。
この報を城下国分町の宿舎で聞いた榎本はおおいに驚き、
「土方さん、同行して下さい」
と、二人で登城し、藩の主導権をにぎった執政遠藤文七郎に対面した。
遠藤は、仙台藩の名門で、代々栗原郡川口千八百石を知行地とし、すでに安政元年に藩の執政になったが、性格が激しすぎるために藩の要路とあわず、その後、京都に駐在した。
この間関西国諸藩の志士と交わり、帰国後激越な勤王論を唱え、そのために佐幕派から罪におとされ、以後知行地に引っ込んでいた。
藩が帰順に傾くや、にわかに起用されて執政に再任したのである。
遠藤は、京にあって薩長土の志士と交わっていた頃、新選組の勢威というものを眼のあたりに見、憎みもしていた。
その土方が、眼の前にいるのだ。
しかも、薩長の非を鳴らし、主戦を説いている。
遠藤としては、
(なにをこの新選組)
と、笑止であった。
歳三も、説きながら、この新執政の顔をどこかで見たような気がしてならない。
(ひょっとすると京で、市中巡察中に見たのではないか)
記憶力のいい男だから、そいう思うと、出会った時の情況までありありと眼に浮んで来た。
冬、烏丸からすま通を南下して来た時、四条通でこの男と、その連れ四、五人に会っている。
当時は、新選組の巡察とみれば大藩の士でも道を他にそらせ、浪士などは露地へかくれ散ったものだが、あの時もそうだった。
── 土方が来た。
と、たしか、遠藤の連れが言った。まげ・・からみて、土州浪士だろう。
うるさいとみて、みな、散ってしまった。
遠藤だけが残った。大藩の重臣だから、ふところ手をして傲然ごうぜんと立っている。
歳三が、尋問した。
「伊達陸奥守むつのかみ家中遠藤文七郎」
と、相手は言った。
ひところ手をしたままである
われわれは御用によってたずねている。ふところから手を出されたい」
と、言うと遠藤は鼻で笑い、
「この手を出させたいなら、われらが主人陸奥守まで掛け合われたい。拙者は不肖といえども、伊達家の世臣だ。陸奥守以外の者から命を受けたことがない」
と、堂々たる態度で言った。
── こいつ。
と、永倉新八が剣を半ばまで鞘走さやばしらせたが歳三はとめた。
「ごもっともなことだ」
と、隊士一同を去らせ、自分だけが残って遠藤に言った。
「どうやら喧嘩けんかを売られたと気づいた。買いますからお抜きなさい」
両者の間、五歩。
遠藤も、抜くつもりだったらしく、左手をあげて、刀の鯉口こいぐちを切った。
その時どうしたことか、かんすずめが一羽、二人の間に舞い下りた。
(町雀だけに、物おじせぬ)
と、歳三は、ふと俳趣を感じた。このあたり、下手な俳句をたのしむ豊玉宗匠の癖が出た。
遠藤が踏み出した。
雀がぱっと飛びたった。
「馬鹿、雀が逃げた」
と、歳三が言った。
その時遠藤が大きく跳躍して真向から抜き打ちを仕掛けて来た。
歳三は、身を沈めた。右手から剣が弧を描いて空をり、遠藤の遅鈍な抜き打ちを鍔本つばもとからたたいた。
生兵法なまびょうほうはよすがよい」
遠藤の刀が、地上に落ちている。
爾今じこん、藩の身分を鼻にかけた空威張りのよすがよかろう。今の京では通用せぬ。われわれは市中の取締りに任じている。伊達家の大身ならば御理解あってしかるべきところだ」
言い捨てて歳三は南へ立ち去った。
2024/06/03
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