~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
艦 隊 北 上 (一)
この夜、風浪はやや高い。
艦隊は、北上している。
歳三の乗っている幕艦開陽丸は、左舷さげんに紅燈、右舷に緑燈をともし、主檣頭メインマストに三燈の将官燈をつけていた。
この燈火が一燈の場合は、坐乗ざじょうする提督は少将、二燈の場合は中将、三燈の場合は大将というきまりになっていた。
榎本武揚は、大将、というわけである。
将官私室に起居していた。
歳三のためには、その次格の部屋ともいうべき参謀長室があてられている。
艦は、当時世界的水準の大艦で、十二センチ口径のクルップ施条砲しんじょうほう二十六門をそなえ、その戦闘力は、一艦よく官軍の十艦に匹敵するであろう。
日没後、榎本は甲板を巡視した。
風浪は強いが、帆走に都合がいい。石炭の節約のために艦長が汽罐きかんを休止せしめたのか、煙突は煙を吐いていない。
榎本は、歳三の部屋の前を通った。船窓からが洩れている。
(あの男、まだ起きているのか)
榎本は、徹頭徹尾様式化された武士だが、かといって同類のフランス式武士大鳥圭介をさほどに信頼していなかった。
生涯しょうがいついに会うことはなかったが、この榎本は近藤勇にひどく興味を持っていた。
後の函館の攻防戦の時も、永井玄番頭ながいげんばのかみ尚志なおむねという旧幕府の文官(若年寄)あがりに都市防衛の指揮権を委ねたことを後悔し、
── たとえば死せる近藤勇、あるいは陸軍奉行並の土方歳三に函館を任せればああいうざまはなかったであろう。
と、晩年までそういうことを言った。
榎本は、新選組が好きであった。後に新政府の大官になった旧幕臣の中で、新選組を情熱的に愛した第一は初代軍医総監の松本順(旧名良順)、ついで、榎本武揚である。
榎本は、歳三の部屋のドアの前で、足をとめた。
(話してみたい)
と、思ったのである。
仙台の城下で、はじめてこの高名な新選組副長土方歳三という者と会った。
ともに青葉城に登城して仙台藩主を説得したりしたが、二人でゆっくり語りあったことはなかった。
(なるほどあの男は弁才はなかった)
しかし城の詰め間にかみしもをつけてえ置く男ではない。
どう見ても戦うために生まれて来たような面魂つらだましいを持っていた。
榎本は幕臣の育ちだから旗本というものがいかに懦弱だじゃくな者かを知っている。土方のような面構えの男を、かつて見たことがない。
榎本は、そう決めていた。
彼は、土方歳三という男が、江戸脱走以来、宇都宮城の奪取、日光の籠城、会津への転戦、会津若松城外での戦闘など、彼がどんな戦をして来たかを、土方の下にいた旗本出身の士官から聞いてよく知っている。この新選組のもと副大将は驚くほどに西洋式戦闘法を自分のものにし、独自のやり方をあみだしていた。
2024/06/04
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