さらに北上した。
艦隊は、開陽、回天、蟠竜、神速、長鯨、大江、鳳凰ほうおうの艦船七隻せき。
戊辰の秋十月十三日、榎本艦隊は、薪水しんすい補給のため、南部藩領宮古湾みやこわんに入った。
艦隊は、水路の複雑な湾内を縫うようにして入って行く。
「ほほう」
と、開陽甲板にいた歳三は、この湾の風景の見事さに眼を細めた。
「市村鉄之助」
と、歳三は、自分の小姓をフルネームで呼んだ。
「寒い」
と、歳三は言った。
旧暦十月ともなれば、奥州の潮風はすでに冷たくなっている。
十六歳の大垣藩出身市村鉄之助は、歳三のために外套マンテルを持って来た。
歳三は、甲板で大剣をつき、外套を肩からかけた。
宮古湾は現在岩手県宮古市にあり、陸中海岸国立公園になっている。ノコギリ状の湾入部に富むいわゆるリナス式海岸であり、北上山脈が断崖だんがいとなって海に落ち、望遠すると、漁村は高い海蝕崖かいそくがいの上に散在している。
「鉄之助、これは眼の保養だな」
と、歳三は言った。
歳三は、希望に満ちている。歳三だけではない。
榎本艦隊のすべてが北海道で建設する第二徳川王朝の希望で心をはずませていた。
そのために、「この本土における最後の寄港地になるであろう宮古湾の景色が、たれの眼にも美しく見えた。
この湾の景色を絵にしようとすれば、西洋画でなければ不可能であろう。それとも、黄のチューブがふんだんに要る筈であった。どの島も、どの断崖も、あかるい黄と暗緑色の断層でそのふちを飾っている。
「松島も美しかったが、この宮古湾に及ばないかも知れない」
と、歳三は、いつになく多弁に、市村鉄之助に話しかけた。
希望が、黄色を美しく見せている。
「はあ」
と、十六歳の市村は答え、歳三の機嫌きげんのいいのを、ひどく喜んでいた。
艦隊は、測量をしながら、ゆるゆると入って行く。
北湾は、わりあい広い。漁村の立埼たちがさきから奥は水深二十尋ひろで、深くもあるが、奥へ入るにつれてしだいに浅くなる。海底は、泥である。
ただ北湾の欠点は、海外に開きすぎていて風波が侵入して来るおそれがあり、安全な投錨地とうびょうちとは言えない。
榎本司令官は、そう判断した。
艦隊は。鍬崎という漁村の前面にまで入った。ここでの測量結果は、水深三尋から五尋まで。
まず、投錨に十分である。
しかも、湾内の地形が複雑で、風を防いでくれる。
── ここがいい。
と、榎本が言ったが、なにしろ湾内が狭すぎて、全艦隊が入らない。やむなく、大型の開陽、回天が、この狭隘部きょうあいぶの出入口からややはみ出た島影に投錨した。
歳三は、榎本の指揮ぶりを見ていて、この男への評価をしだいに高くした。
(出来る男だな)
と思ったのは、榎本の手配りのよさと、入念さである。
南部藩に使者を出す一方、この宮古湾の測量をなおもやめない。執拗しつようなほどの入念さであった。この南部領宮古湾など、錨いかりを抜いて出てしまえば、もはや無用の湾ではないか。
(変わっている)
それが、榎本のもともとの性格なのか、外国仕込みのやり方なのか、歳三にはわからない。
「榎本さん、ご入念なことですな」
と、仏式陸軍将官の制服の歳三は、榎本に話しかけた。 |