榎本は、オランダから帰国後、彼自身が意匠を工夫して旧幕府に献言し採用された海軍制服を着ている
黒ラシャ製の生地で、チョッキ、ズボン、それにフロックコート(とも言い難い。羽織とのあいのこである)を羽織り、ボタンはすべて金、コートの袖に士官の階級をあらわす金筋を入れている。榎本は大将格だから五本である。
そのズボンのベルトに日本刀をぶち込み、渡欧中に蓄えた八字ひげをはやしていた。ひげは戦国武者が好んだが、徳川三百年、はやらなかった。
ところが、西洋人はこれを好む。榎本のひげは、欧化幕臣のしるしといっていい。
「測量は、寄港するごとに、入念にやり、海図という道案内に書き入れます。その港が、今度必要であろうがなかろうが、やるわけです。つまり、西洋式海軍の癖のようなものですな」
と、榎本は、この無学な剣客のために懇切に説明した。
「そんなものですか」
歳三は考えている。
この喧嘩師の頭には、榎本にはない奇抜な空想がうかんで来たらしい。
「土方さん、なにをお考えです」
と、榎本は、興深そうに聞いた。第二徳川王朝軍の将領は揃いも揃って旧幕臣きっての学者、秀才ぞろいだが、この土方歳三だけは異質なのである。それだけに、榎本にとってこの無学な実戦家の発想に興味があった。
「いや、榎本さん、あなたはお笑いになるかも知れぬが、この宮古湾についてです。官軍の艦隊が、将来、北海道えぞちに来襲する考えています」
「・・・・・」
「いったい、蒸気船というものは、海上で港にも寄らずに走れるのは、何日間です」
「艦隊の大小によって違いますが、艦隊を組む場合、そのうちの最も小さな船に歩調を合せます。官軍艦隊の輸送船はせいぜい二百トンほどでしょうから、それに陸兵を満載するとすれば、飲料水だけで、三日ももたない」
榎本には、多少の衒学げんがく趣味もある。無用のことも言った。
「走力だけでいえば」
と、言葉を継いだ。
「蒸気罐じょうきがまばかり焚たいていると、良質の石炭でもせいぜい、二十日間です。その石炭を節約するために、風の調子のよい日にはつとめて聞汽罐をとめ、帆走を用います。その二つの力を巧みに用いるのが、よい艦長、船長というものです。それをうまくやれば、まず一月は大洋を走れます」
抗議を聞いているようだ。
が、歳三の聞こうとしているのは、もっと具体的なことである。
「榎本さん、官軍艦隊が江戸湾を発すると、この宮古湾にはかならず寄りましょうな」
「ああ、そういうことですか。それは寄港するでしょう」
「そこを叩たたく」
と、新選組の親玉は言った。
「え?」
「榎本さん、今にしてわかったが、洋式軍艦というものも不自由なものらしい。いったん錨をおろせば、汽罐の火は消す。帆はおろす。これじゃ、いざ敵襲といっても、容易に出動出来ない。官軍艦隊がここで碇泊ていはくしているところを、にわかに軍艦で攻め込んで来れば、敵は全滅しますよ」
「ほう、それで?」
榎本は、眼を輝かせた。
「こっちの軍艦には、われわれ陸軍を乗せておく。出来れば砲戦せずに、つまり敵の軍艦を傷つけずに接近し、舷側げんそくにくっつけ、甲板へ斬り込んでゆけば、軍艦が丸奪まるどりになるじゃありませんか
(ふっ)
と、榎本は思わず吹き出すところであった。
(新選組はやっぱり新選組じゃ、話の最後は斬り合いか)
思いつつ、笑いも出来ず、臍下丹田せいかたんでんに力を込めて、大真面目に言った。
「御妙案です」
この珍案が、後に世界海戦史上稀有けうといっていい歳三らの宮古湾海戦として実現するのだが、榎本はこの時、まずまず座興として聞き流した。 |