江戸に戻ってから、兄の剛蔵が、
── 鉄之助、逃げよう。
とすすめた。
すでに天下は徳川に非で、将来に眼ざとい連中は、新選組のなかから、毎夜のように、一人逃げ、二人消え、していたころである。
剛蔵の逃亡も、無理ではなかった。
「鉄之助、われわれは新参なのだ。伏見で戦っただけでも十分だと思う。これ以上隊にいては、すでに京の薩長が錦旗きんきをひるがえした以上、賊軍になってしまう」
と言った。
「いや、僕はとどまります」
と、明けて十六歳の鉄之助は、ひどく信念にあふれた顔で、断乎だんこと言った。
「理由はなんだ」
「沖田さんを介抱せよ、と土方先生から言われているのです」
「え?」
それが、理由のすべてである。
剛蔵は怒った。
「お前、沖田総司が兄か、おれが兄か」
「兄上、こまったな」
この心情は、自分以外にはわからない。
なにしろ沖田総司と自分が似ているのだ。
「似ているから採ってやる」
と、副長の土方歳三が、はっきり言ってくれた。沖田総司といえば、京で知らぬ者はなかった。市村もむろんその雷名は聞きおよんでいた。幕末が生んだ不世出の剣客であろう、と、市村は、沖田総司の風貌ふうぼうを鬼のような勇士として想像していた。
ところが、大坂の病室で対面した現実の沖田総司は、ひどく照れ屋で、市村のような若僧に対しても敬語を使い、しかも、自分から用事をいいつけたことがない。
富士山艦の中でも、
「市村君。僕は元気なんだ。そう病人扱いにしないで下さいよ」
と、言う。
咳せきの出る夜など、徹夜で看病する気でいると、
「市村君は、あんたは、僕を病人にするために入隊はいってきたんですな。あんたがそこにいると、だんだん病人みたいな気持になってしまう」
そんなことを言って、断わってしまう。
手に負えなかった。
江戸に帰ってからでも、隊務の余暇をみつけては医学所へ行って看病したが、
「いけませんよ、市村君」
と、鉄之助とよく似た眼もとで笑い、
「あんたは男の子でしょう。ひとを看病するために新選組に入隊したのではないはずですですよ」
と言った。
沖田は、歳三にも言った。
「あのひとをを」
と、市村鉄之助のことを呼んだ。
「寄せつけないで下さいよ。どうも伝染うつりそうな気がして、気が気でならない」
歳三は、沖田のその言葉を、市村鉄之助にそのまま伝えた。
鉄之助は感激して、声をあげて泣いた。沖田ほどの人が、それほど自分の身を想おもっていてlくれたのか、と。
「あれはあいつの性分なのさ」
と、歳三はつけつけ加えたが、しかし若年な市村鉄之助にとっては、そうは思われない。
(自分を。──)
と、身がふるえる思いであった。
兄剛蔵が、亡命をすすめたときも、踏みとどまる理由にそれを言おうと思ったが、わかってもらえまい、と思い、口に出すことをやめた。
第一、表現のしようがないのである。士はおのれを知る者のために死す、という古語があるが、そういうこととも違う。
なんだか、変なものだ。
そういう変な、筋の通らない、もやもやとしているくせに一種活性を帯びたものが接着剤となって、人間というものが結び合う場合が多いらしい。
「僕は踏みとどまります」
と、鉄之助は兄にきっぱり言った。
剛蔵は、その夜、行方不明になっている。
鉄之助は、歳三と共に、各地に転戦し、どの戦場でも勇敢であった。
単純な理由である。
(僕は、沖田さんに似ている)
それが、常に励みになった。
この市村鉄之助という人は、その後、数少ない新選組の生き残りとなり、明治後、土方歳三のことを語る、唯一ゆいつにちかい語り手になって世を送り、明治十年、西南ノ役に警視庁隊として応募し、西郷の薩軍と戦い、戦死している。
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