歳三は、新選組、幕府歩兵、仙台藩の洋式部隊である額兵隊、それに彰義隊の脱走組などを含めた兵七百を率いて、出発した。
松前藩というのは、三百諸侯の中で、知行高を持っていない唯一の藩である。藩経済は、北海道産物で賄われている。
前藩主松前崇広は、幕府の寺社奉行、海陸総奉行、さらには老中にまでなるほどの器量人だったが、いまは病没して亡ない。
現藩主は、十八代徳広である。多病で、藩政をみる力がなく、そのうち藩内が勤王派で牛耳ぎゅうじられ、城中で空位を擁している。が、なんといっても、一藩を攻め潰すのだから、はたして七百の兵力で足りるかどうか、榎本軍の仏人顧問たちも危ぶんだ。
小藩とはいえ、相当な城である。
安政二年に竣工しゅんこうしたばかりの新造の城(現国宝)で、面積二万千三百七十四坪、天守閣は三層で、銅ぶきの屋根をもち、壁は白堊はくあ
白堊はくあの塗り込めになっており、しかもペリー来航後に出来た新城だけに、城の南面、海に向かって砲台を備えている。
「まあ、足りるでしょう」
と、歳三は言った。鳥羽伏見では薩長のミニエー銃に負けたが、こんどはこちらがミニエー銃を持ち、相手は火縄銃ひなわじゅうと五十歩百歩のゲーベル銃しか持っていない。
むしろ、雪中の行軍で悩んだ。
当別とうべつ、木古内きこない、知内しりうち、知内峠までは民家宿営が出来たが、その翌日は露営をした。
「火をどんどん燃やせ」
と命ずるしか、露営の方法がない。
歳三も、外套をひっかぶって大焚火おたきびのそばで寝ころんだが、体の下の雪が融とけてきて、かえって体が凍りつくような始末になり、これはたまらぬお思った。
夜中、全軍を叩き起こし、
「敵陣を奪う以外に寝る場所はないと思え」
と夜行軍をはじめた。
敵の第一線は、人口千人の港町福島にあり、斥候せっこうの報告では守兵は三百だという。
全軍、眠りたい一心でこの町を攻め、激戦の末奪取したが、松前軍は雪中露営の困難さを知っているから町に火を放って退却した。
その夜は焼けあとで寝たが、夜中風雪がひどくなり、また露営していられなくなった。
「起きろ」
と、歳三は夜中兵を起こし、
「ねぐらは松前城ときめよ。城を奪とるか、凍死か、どちらかだと思え」
みな、ふらふらで行軍した。
ついに、歳三らは松前城の天守閣を見る高地まで出た。
歳三は、まず、城から六、七丁離れた小山(法華寺山)をえらんで四斤ポンド山砲さんぽう二門を据え、城内に向かって砲撃を開始させた。
敵も、城南築島砲台の十二斤加農砲カノンほうの砲座を変えて応射し、砲兵戦になった。
歳三は、砲兵に援護射撃を続けさせつつ、彰義隊、新選組には大手門をあたらせ、歩兵、額兵隊などの洋式部隊は搦手からめて攻めを担当させた。
自分は馬上指揮をとった。
城は、地蔵山という山を背にし、前に幅三十間の川をめぐらせている。
川岸まで来た。
敵は川向うと城内からさかんに撃って来る。が、ゲーベル銃という燧石式ひうちいちしきの発火装置をもった銃は、操作に手間がかかるうえに、ひどく命中率が悪い。
「あれは音だけのものだ。おれは伏見で知っている」
と、歳三は笑った。
「花火が打ちあがっていると思え。川に飛び込むんだ」
と、馬腹を蹴けってみずから流れに入った。
彰義隊が、真先に進んだ。
新選組が、そのがその下流をやや遅れて進んでいる。
(ちっ)
歳三は、気が気ではなかったが、全軍の統率上、新選組だけを鼓舞するわけにいかず、いらいらした。
「市村鉄之助」
と小姓を馬のそばに呼び、
── 斎藤に言え、京都を思い出せ、と伝えろ。
市村は、洲すをけ、浅瀬を渡り、ときには深い流れの中を泳いだりしながら新選組指揮官斎こと斎藤一に近づいてそれを言うと、
「冗談じゃない」
と、斎藤は弾雨の中でどなった。
「京都のころでも、鴨川を泳いだことはなかった。あの人にそう言ってくれ。北海道えぞちの冬に川泳ぎするとは思わなかった」
全軍、どっと対岸へのぼった。
白兵戦がはじまると、新選組の一団の上にはつねに血の霧が舞っているようで、もっとも強かった。
彰義隊と共に敵を大手門まで追ったが、引き揚げて行く敵は、ついに大門をとざしてしまった。
「これァ、いかん」
刀では鉄鋲てつびょうをうった門をどうすることも出来ない。
その手前で、斎藤一は、彰義隊の渋沢成一郎、寺沢新太郎らと協議し、
「搦手門からめてもんにまわらんと、戦は出来んぞ」
と、歳三の決めた部署を勝手に変更してどっと駈け出した。
途中、馬上の歳三に出遭った。
「両隊、何をしておる」
歳三がどなると、斎藤一はそのそばを駆け抜けながら、口早に理由を言った。
「なるほど、門は破れまい。おれも搦手門へ行こう。各々おのおの、わがあとにつづけ」
と、城壁の下を駈け出した。
城壁から鉄砲玉がうちおろされてくるが、可哀かわいそうなほど当たらない。 |