そこでは、敵は奇妙な戦法をとっていた。
城門の内側に、砲二門をんらべ、弾を込めると、パッと門を開き、同時に発射して、また門を閉める。
額兵隊、歩兵はこれには攻めあぐみ、そここに伏せて、その砲弾の炸裂からかろうじて身を守っていた。
歳三は、散兵線に馬を入れると、額兵隊長の星恂太郎じゅんたろうを呼んだ。
星は、真赤なラシャ服に金糸の縫いとりをした派手な額兵隊制服を着ている。
「あの門、いま何度目に開いた」
「四度目です」
「開門から閉門まで、どのぐらい時間がかかっている」
「さあ、呼吸いきを二十ばかりつくほどでしょうか」
「では銃兵二十人を貸したまえ。あとの諸君は突撃の用意をしておく」
やがて五度目に門が開き、二門の砲が同時に火を噴き、歳三の背後にいた歩兵八人を吹っ飛ばした。
すぐ門が閉ざされた。発射煙だけが残った。
「来い」
と、歳三は二十人の銃兵とともに走り、搦手門の眼の前まで接近して、立射の姿勢をとらせた。
「門が開くと同時に射手めがけて一斉いっせい射撃しろ」
後方の味方は、地に身を伏せながらみな、固唾を呑んでいる
もし大砲の発射の方が早ければ、二十人は歳三を含めて木っ端微塵みじんになるだろう。
やがて門が開いた。
にゆっ、と二門の砲が出た。
と同時に、二十挺ちょうの小銃が火を噴き、砲側の松前藩兵をばたばた倒した。
「斬り込め」
と、最初に飛び込んだのは、彰義隊の寺沢新太郎、ついで新選組の斎藤一、松本捨助、野村利三郎。
そのころには、法華寺山の味方の砲兵陣地が撃った弾が、城内に火災をおこしはじめていた。
全軍、乱入した。藩兵は城を捨てて江差えさしへ敗走した。
歳三は、追撃を命ずべきであったが、、みなは寝るために松前城を陥おとしたのだ。
「寝ろ」
と、命じた。
命じてから、新選組のみを率い、みずから斥候になり、江差へ行く大野口の間道をのぼりはじめた。
山路を二丁ばかり行くと、木コリ小屋があり、そこに旧幕府歩兵がなぜ来たのか、すでに先着している。
彼らは歳三を見て、狼狽ろうばいした。
「どうした」
と聞くと、どうやら、城を落ちて行った女どもを追っているらしい。
歳三は、小屋の土間に入った。そこに、五人の御殿女中風の娘が、病人らしい若い婦人を守って、それぞれすさまじい形相で懐剣を握っている。
歳三は、自分の名と身分を告げ、害意はもたない、事情を聞かせてほしい、と言った。
「土方歳三?」
女たちは、この京で高名だった武士の名をみな知っていた。が、この名がどういう印象で記録されていたかは、よくわからない。
中央の婦人は、妊婦であった。まだ二十すぎで、美人ではないが、気品がある。
「私に名を告げなさい」
と、女中たちに言った。
「私の名を告げなさい」
と、女中たちに言った。
松前藩主松前志摩守徳広の正室であった。
歳三は、ここで、あまりこの男にふさわしくない、ひどく人情的な始末をしている。
「志摩守殿は、江差に居られるはずですな」
と言った。すでに間諜かんちょうの報告で、攻城の直前、江差へ去ったことは聞いている、なぜ身重の藩主夫人だけが残ったのか、そのへんの事情はよくわからない。
「江差まで隊士に送らせましょう」
と言った。
その隊士を歳三は、とっさの判断で、名指しした。
斎藤一、松本捨助
の二人である。どちらも新選組(新選隊)の指揮官ではないか。
しかも、
「江戸までお供せい」
と命じた。
「土方さん、正気ですか」
斎藤が眉まゆをひそめた。
「正気さ」
「私は断わるね。あんたとは新選組結成以来一緒にやって来た。北海道えぞちもこれからというときになって江戸行きはごめんですよ」
「江戸へついらた、故郷へ帰れ」
「・・・・・」
いよいよ斎藤と松本は驚いた。
歳三はそれをおそろしい顔で睨みつけ、
「隊命にそむく者は斬る、という新選組の法度はっとを忘れたか」
とうむ・・をいわさず承知させ、部隊の行李こうりを呼び、餞別せんべつを与えた。
ところが餞別せんべつに差があり、松本捨助は十両で、斎藤一は三十両であった。
理由を聞くと、この差には歳三なりの理由のあることだった。どちらも南多摩郡の出(斎藤は播州明石の浪人の子)だが、斎藤には故郷に家族がない。捨助には、両親も健在で家屋田地もある。
「だからよ」
と言ったきり、歳三はそれ以上言わなかった。
二人は江差から北海道えぞちを脱し、その後、明治末期ごろまで生きた。生きさせるのが、歳三の強要した別離の最大の理由だった。
── 妙な人だった。
と晩年まで山口五郎(斎藤一)は歳三のことをそんなふうに語った。
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