~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
甲 鉄 艦 (三)
「榎本さん、その甲鉄艦は、南部領(岩手県)の宮古湾に寄港するでしょう」
と歳三は言った。
「当然、するでしょうな」
「その時に襲ってこちらに奪い取ってしまえばよろしい」
「・・・・」
みな、あきれたような顔で歳三を見た。
(この無学者が)
というところであったろう。
歳三は、例のはれぽったい眼を薄眼にして眠ったようにひとみを動かさない。
榎本だけは、いしきりとうなずいている。すでに宮古湾の洋上で、歳三から、この夢のような戦術を聞かされていたからである。
「しかし土方君、わが方にすでに開陽がないのだ。あの当時とこちらの条件が違っている」
と、榎本は言った。
開陽は昨秋十一月、江差の弁天島投錨地とうびょうちで台風に遭い、沈没してしまっていた。これによって函館の海軍力は半減した、といっていい。
「回天があるでしょう。蟠竜、高雄もある。陸軍の私がいうのは妙だが、とのかく海軍はわれわれを運んでくれるだけでよい。乗っ取るのは陸軍でやる。もっとも乗っ取ったあと艦を動かいて帰るのは海軍だが」
「・・・・」
みな沈黙した。といって好意的な沈黙ではなかった。旧幕府陸海軍の秀才たちは、こういう戦術を学んだことがない。
(まるで昔の倭寇わこうではないか)
という感想であった。
このあと軍議は雑談におわって解散した。

この函館海軍当局の恐怖が、函館居住の外国人によって新政府に報告され、その報告文が横浜の英字新聞「ヘラルド」に掲載された。
文中、「函館政府の将校たちは、甲鉄艦が近くやって来ることに非常に恐怖している。しのせいか、海峡にたびたび捜索船を出しているようである。昨夜も、蒸気船二隻を出し、函館港の内外を航行させていた」とある。
この記事が大きく扱われているところから見ても、横浜の外人にとって、函館政府の動きは関心事だったに違いない。
 
歳三の案は、榎本の口から旧幕府の仏人軍事教師団に伝えられた。
ニコールという男が、
「それは外国の戦法にもある」
と言ったから、榎本はにわかに関心を持った。接舷攻撃アボルダージ・ボールディングというのである。
「土方君、外国にもあるそうだ」
「あるでしょう。戦というものは、学問ではありませんよ。勝理屈というものは、日本も外国も違うもんじゃない」
(そのとおりだ)
榎本も閉口し、眉をさげる特有の笑い方で、歳三の肩を叩いた。
「私が負けた」
「私も船のことはわからないから回天艦長の甲賀源吾君に聞いてみた。すると甲賀君は学問があるわりには」
と、歳三は榎本を見て苦笑し、
「いや、これは学問のあるあなたへの皮肉ではない。甲賀君は学者のわりには頭が素直なようです。出来そうだ、と言ってくれた。とのかく研究してみる、ということだった。軍艦はべつとして、陸兵は私が指揮をします」
「陸軍奉行みずからがゆくべきじゃない」
「私は戦いにれている。近藤勇は甲州城を奪いそこねて恨みを呑んで死んだが、その報酬に甲鉄艦を奪いたい」
「薩長は驚くだろう」
榎本は、歳三が軍神のように見えて来たらしい。外交人がよくするように手を握った。
「想像するだけでも愉快なことだ。土方さん、薩長にすればまさか新選組が軍艦に乗って斬り込んで来るとは思うまい」
「これには諜報が要る。かんじんなことは、むこうの艦隊がいつごろ宮古湾に来るのか」
「いや、今日あたり江戸の諜者からの手紙が英国船に託されて入って来る筈だ。それを見ればほぼ見当がつく」
2024/06/16
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