官軍艦隊は北上を続けたが、途中何度か時化にあい、宮古湾寄港が予定よもずっと遅れた。
五稜郭にある榎本は、海軍奉荒井郁之助をして、しきりと宮古湾周辺まで斥候せっこう船を出させている。
陸軍奉行の歳三、軍服に乗馬用の長靴ちょうかをはき、函館港内に繋留けいりゅうしている「回天」に乗り込んで毎日のように「切り込み隊」の訓練をしていた。
「よいか、人を斬る剣は所詮しょせんは度胸である。剣技はつまるところ、面めんの斬撃ざんげきと、突き以外にない。習い覚えた区々たる剣技の末梢まっしょうを忘れることだ」
と歳三、甲板上で右足を踏み出し、ぎらりと和泉守兼定を抜いた。
瞬間、凄味すごみがあたりに満ち、陸兵も海員もみな声を呑んだ。京都のころ、史上、もっとも多くの武士を斬って来た男が、ここで殺人法の実技を見せようとしている。
歳三の眼の前に、ハンモックが、袋に包んで立てられている。
踏み込んだ。
和泉守兼定が陽光にきらめいたかと思うと、そのハンモックはテテ真二つになってころがった。
「腰を」
歳三自分の腰を叩いた。
「腰をぐっと押して行って相手の臍へそにくっつけるところまで行って斬れ。切先きっさきで斬るのは臆病者おくびょうもののやることだ。刀はかならず物打ものうちで切る。逃げながら相手の胴を払ったり、籠手こてをたたいて身をかわすような小技こわざはするな」
聞いている連中も、各隊よりすぐりの剣客だから素人しろうとではない。
選ばれたのは、
新選組からは、野村利三郎、大島寅雄など二十人。
彰義隊からは、笠間金八郎、加藤作太郎、伊藤弥七など二十数人。
神木隊しんぼくたいからは、三宅八五郎、川崎金次郎、古橋丁蔵、酒井?之せんのすけ助、同良祐など二十数人である。
どの男も、京都、鳥羽伏見、上野戦争、東北戦争、蝦夷地えぞち鎮定戦などで死地の中を何度もくぐって来た連中である。
三月二十日夜十二時、彼らは三艦に分乗し、函館の町の灯をあとにして、ひそかに北海道を離れた。
「回天」は先頭にあり、艦尾に白燈をともして後続艦を誘導した。
宮古へ行く。 |