軍艦回天は闇の中で錨をあげ、機関を低速運転し、襲撃すべき宮古湾に向ってひそかに洋上をすべりはじめた。
刺客に似ている。
艦橋に歳三がいた。チョッキから時計を出し、
(夜明けまで、三十分はんじか)
とつぶやいて、蔵しまった。蔵うと、タラップからおりはじめた。
上背もある。顔の彫も深い。どう見ても、洋風の紳士である。
ただ腰にぶち込んでいる和泉守兼定さえなければ。
甲板には、各組が昂奮こうふんをおさええかねてぞろぞろ出ていた。歳三そのそば歩きながら、
「あと三十分で夜が明ける。その頃に宮古湾に入るだろう¥」
と言った。さらに、
「霧で体が濡ぬれる。いざというときに手足が動かない。船室で待機しているように」
とも言い、追い立てるように甲板下の船室へ逆もどりさせた。
頭上で、ロープのきしむ音が聞こえた。
マストに旗があがりつつある。星条旗である。湾に入るまでは米国軍艦に擬装することになっていた。べつに卑怯ひきょうでもなんでもない。敵地に侵入する時に外国旗をかかげ、いよいよ戦闘というときに旗をおろし、自国旗をかかげるというのが、欧州の慣例のようになっていた。
やがて闇の海面が濃藍色のうらんしょくに変じ、さっと光が走って、東の水平線明治二年三月二十五日の陽ひが、空を真赤に染めつつのぼりはじめた。
眼の前に、三陸の断崖だんがい
、山波が起伏している。
閉伊崎へいざきの松が、眼の前に見えた。
(来たな)
と、歳三小姓市村鉄之助を振り向き、
「みな甲板へ出ろ、と言え」
歳三も甲板へおりた。
やがて襲撃隊がぞくぞくバレー(船の出入口)から出て来て、各部署ごとにむらがって折り敷いた。
みな、右肩に白布をつけている。敵味方の識別をするためである。
銃を背負って抜刀をそばめている者もあり、逆に剣を背負って銃をかかえている男もある。
「いい日和ひよりらしい」
と、歳三はめずらしく笑いながら、昇って行く陽に向って眼を細めた。
艦長の甲賀源吾は、乗組員をきびきびと指揮していた。
マストの楼座には、水兵が銃を持ち、あるいは擲弾てきだんをもって待機している。
両舷の艦砲も、装填をおわった。
どの砲も、兵員殺傷用の霰弾さんだんと、甲鉄破壊用の実弾とそれぞれ二弾をこめていた。
実霰合装じつさんがっそうという装填法で、発射すればふたつの砲弾が飛び出すというわけである。
歳三は艦橋にもどった。
艦は、せまい湾口をするするとすべるように進んで行。
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一方、戦艦八隻よりなる官軍艦隊はすでに起床時間が過ぎていたが、各艦とも甲板に出ている人数はちらほらしかいなかった。
マストの楼座にいる哨兵召平だけが活動している。
どの艦船も、汽罐きかんに火が入っていない。
むろん帆はあがっておらず、錨をおろしたままだから、いざ戦闘となれば、まず動くことに十五分以上の時間がかかるであろう¥。
だから艦隊はまだ眠っているといっていい。 |
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回天は、なおも湾の奥へ進んで行く。
この狼おおかみの口のように深く狭く裂けた湾は、入口から奥までのあいだ、海峡のような海が二里あまりもつづく。
歳三が最後に甲板におりたときに、眼の前の風景が変わって、一艦を見た。
錨を沈めて、沈黙している。
「戊辰丸です。陸兵をのせる運輸船です」
と、この艦の見習士官が歳三に教えた。
回天は戊辰丸を黙殺しつつ、その舷とふれあうようなしばをゆうゆうと通り抜けた。
その頃、戊辰丸では、哨兵が、
── 右手に、米国軍艦。
と、当直士官に報じた。
が、たれも驚かない。
── たしかに米国軍艦だ。
と、みな信じた。旗のせいばかりではなく、回天の艦姿が、官軍海軍の記憶にあるそれとは少し変化していたのである。
回天といえば、たれしもが「三本マスト、二本煙突」と記憶してい。たしかにその通りだ、去年、品川沖を脱出して北走の途中、犬吠埼いぬぼうざき沖で暴風にあい、二本のマストと一本の煙突を失った。
いま官軍艦隊の眼の前にある回天は、前檣ぜんしょうだけの一本マスト、一本煙突の異様な艦型である。米国軍艦と信じ込んだのも無理はなかった。
のちに元帥東郷平八郎の直話にもとづいて書いた小笠原長正著「東郷平八郎伝」および「薩摩海軍史」には、このときの官軍側の情況を、
艦員のなかで上陸している者もあり、艦内にいてもまだ眠っている者も多かった。全員在艦していたのは、薩摩軍艦「春日」だけであった。
すでに起きていた各艦の乗員も、上甲板に集まって、先進国の米国軍艦の投錨その他の操業ぶりを見ようと思い、愉快に笑いさざめきながら見物していた。
と述べている。 |
2024/06/24
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