回天のマストの楼座には、とくに士官の新宮勇が勤務につき、湾内の甲鉄艦を探していた。
「甲鉄艦あり」
と新宮が叫んだ時、全員が配置についた。
襲撃隊は舷の内側に身をかくしつつ、それぞれ刀を抜きつれた。
歳三は、艦のヘサキにいた。眼の目にうずくまっている甲鉄艦を見た時、
(すごい)
と思わず胴ぶるいが来た。
艦の腹を鉄板で包み、無数の鉄鋲てつびょうを打ちつけてある。
マストは二本、煙突は一本、それがずんぐりとみじかい。艦の前と後に旋回式の砲塔があり、とくに前の砲は回天の主砲の四倍もある三百斤ポンド砲である。歳三の喧嘩けんかの歴史でこれほどの大物とやるのは、最初で最後であろう。
しかも斬り込むだけでなく、奪い取って函館へ持って帰るのが目的であるる。出来るかどうか、博打のようなものであった。
いよいよ近づいた。
甲鉄艦の乗組員の顔が、目鼻立ちまで見える距離に接近した時、甲賀艦長は、
「旭日旗きょくじつきをあげよ」
と命じた。
米国旗がおろされ、するすると日の丸の旗があがった。
官軍艦隊は、白昼に化物を見たように驚愕きょうがくした。とりわけ、甲鉄艦の狼狽ろうばいはみじめなほどで、甲板を走る者、出入口に逃げ込む者、さらには海に飛び込む者さえあった。
ただ甲鉄艦の艦尾でゆうゆうと信号索をとりながら、信号旗をあげる武士がいた。全軍警戒、の信号である。この勇敢な男の名は伝わっていない。
回天は、接舷すべくなおも運動をつづけている。甲鉄艦に並行して「リ」の字の形になろうとするのだが、回天の舵には右転の利きにくい癖があり、どうしてもうまくゆかない。
接舷に失敗し、いったん後退した。
さらに突っ込んだ。
ぐわァん
という衝撃が、全艦に伝わった。
へさきにいた歳三は、二、三間、跳ね飛んだ。
起きあがるなり、状況を見た。
(こりあ、まずい)
と、血の気が引いた。
回天のヘサキだ、甲鉄艦の左舷にのしあげていた。つまり「イ」の字型になっていた。
全舷接触してこそ、全員が同時になだれ込めるのだが、これでは、ヘサキから一人、二人と飛び込んでゆくしか仕方がない
艦の運動が悪かったために、意外な状況になってしまった。
しかも、いま一つ意外なことがある。回天はひどく腰高な艦で、甲鉄艦の甲板へ飛び込もうとすると一丈の高さを飛び降りねばならない。よほど身軽な者か、運のいい者でなければ、脚を折ってしまうであろう。
(無理だ)
歳三はひるんだ。もともと無理な喧嘩をしない男であった。
艦橋では、甲賀艦長が、やはり唇くちびるを噛んでいた。
が、思案しても仕方がない。
「土方さん、やろう、接舷襲撃アボルダージ」
と艦橋からどなりおろした。
「やるか。──」
と、歳三は振り向いて微笑した。甲賀はうなずき、白刃はくじんを振った。
それが、歳三が甲賀源吾を見た最後であった。
艦首から、ロープをおろした。
「飛び込め」
と、歳三は剣をふるった。
── お先に。
と、歳三のそばを駈けすぎて行った海軍士官がある。測量士官の旧幕臣大塚波次郎である。
ついで新選組の野村利三郎。
三番目は、彰義隊の笹間金八郎。
四番目は、同加藤作太郎。
さらに新選組隊士十五人、彰義隊、神木隊といった順で飛び降りた。
が、それぞれ飛び込んだものの、雨だれ式で落ちてくるために、甲鉄艦の方では防戦しやすかった。
甲鉄艦の方でも、狼狽からようやく立ちあがっている。
それぞれ甲板上の建造物の影にひそんで小銃を乱射し、また白刃を抜きつれて一人ずつ降りて来る襲撃兵を取り囲んですさまじい戦闘を開始した。
(いかん)
と歳三は思った。
この男は、陸軍奉行並である。つまり函館政府の陸軍大臣だが、ついに意を決した。士卒に混じって斬り込もうとした。
「みな、綱渡りはうやめろ。飛び降りろ、脚が折れたらそれまでだ」
と、自ら大剣を振りかぶるなり、一丈下の敵甲板へ落ちて行った。
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