~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
襲 撃 (四)
一方、他の官軍戦艦である。いち早く戦闘準備についたのは、薩艦「春日」だけであった。
「春日」は、もう一つ運がよかった。というのは、どの艦船よりも味方の甲鉄艦が邪魔になって砲の射撃は出来なかったが、春日だけが、わずかに回天を射てる射角をもっていた。
その春日の艦載砲の中でも、左舷一番砲を受け持つ三等士官東郷平八郎だけが回天を射つことが出来た。
春日が射撃をはじめた。そのうちの二弾が回天に当たって甲板上の小建造物、人員を吹っ飛ばした。
が、他の艦船もすでに錨をぬき、汽罐に火を入れ、エンジンのかかるのを待っていた。
エンジンがかかれば七隻をもって、回天を取り囲み、集中火をあびせるであろう。
回天も、してそれを見ているわけではなかった。
四方八方に艦砲を轟発し、戊辰丸、飛竜丸に被害を与えた。
戊辰、飛竜の二船には陸兵が満載されている。彼らは、数百ちょうの小銃をならべて回天に向って射撃した。
甲賀は、なお艦橋にいた。
足もとには、士官、連絡兵の死体がころがり、くつが床の上の血ですべるほどであった。
ついに一弾は、甲賀の左股をつらぬいた。
支柱につかまって、起きあがった。
さらにその右腕を吹っ飛ばし。倒れながら連絡兵に、
「後退の汽笛を」
と命じた時、小銃弾が首を射ぬき、絶命した。
汽笛が鳴った。
甲鉄艦の上では、すでに立ち働いているのは、歳三のほか、二、三人しかおらず、みな倒れた。
ころがっている敵味方の死傷者で、甲板上は文字通り屍山血河しざんけつがという惨状を呈していた。
「引きあげろ」
歳三は生き残りをロープのそばに集め、それぞれ登らせた。
最後に歳三がつかまった。
敵の銃兵五、六人が、遮蔽物しゃへいぶつ から遮蔽物にかけて躍進しながら追って来た。
歳三は、剣をさやにおさめた。
「やめた、そのほうらも、やめろ」
と、敵にどなった。
敵は、ついに射撃しなかった。歳三が回天艦上に移った時、艦は甲鉄艦を離れた。
湾を出た。
春日以下が追跡したが、速力の速い回天にはついに追いつくことが出来なかった。
回天は、二十六日函館に帰港した。
2024/06/27
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