~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
五 稜 郭 (四)
一方、官軍の司令部では、すでに五稜郭の本営に対し降伏勧告の準備をしつつあり、正式の招降使を出す前に、五稜郭出入りの商人を通じて、うわさ程度のものをしきりと流して城内の反応を打診しようとした。
これを聞いた時、榎本以下の五稜郭の諸将はいずれも一笑に付したが、しかし部下の将士の間には、
「榎本は降伏するのではないか」
という疑惑がひろがった。
これが、千代ケ岱の守将中島三郎助の耳にまで聞こえ、馬を飛ばしてやって来た。
中島三郎助はかつて浦賀奉行所の与力だった人物で、嘉永六年三日、ペリーが来航した時、小船に乗って訊問応接に出かけたことで知られている。
その後、幕命によって長崎で軍艦操練法を学び、のち軍艦操練所教授方頭取となったが、榎本はかつてsの下僚であった。
幕府の末期には両御番上席各の軍艦役で、病身のために実役にはついていなかった。
幕府瓦解がかいとともに長男恒太郎、次男英二郎とともに榎本に従って函館に走り、五稜郭の支城ともいうべき千代ケ岱 砲台の守備隊長になっている。四十九。
詩文音曲にたくみでしかも洋学教育をうけた、というその教養からはおよそかけ離れた古武士然とした人物で、性格はひどくはげしい。
のち、榎本が降伏して五稜郭を開城してからもこの人物とその千代ケ岱 砲台だけは降伏せず、五月十五日、官軍の猛攻を受けて奮戦の末、二児とともに戦死した。
「うわさはまさか、真実ではなかろうな」
と、本営の洋室に入って来た。あいにく室内には歳三しかいなかった。歳三はこの時も、丹念に長靴ちょうかをみがいていた。
「なんのことです」
と歳三は振り向いた。中島はこの男の主義で、和服である。開戦前は函館奉行をつとめていた。
「あ、土方殿か」
うしろ姿を見て、榎本とまちがえたらしい。
「土方ですが」
「貴殿でもいい。ご存じでござろう。風聞では、榎本が降伏すると申すが、まさか真実ではござるまいな」
「存じません。歩兵どもの間での他愛たわいもないうわさでしょう」
「それならよいが」
と、中島三郎は椅子いすを引き寄せて腰をおろし、歳三をのぞき込むようにして、
「土方殿」と言った。
「こう言っては何だが、榎本という男はいざとなれば存外腰の砕けやすい男だ。私は軍艦操練所の頃、彼を下僚にしていたからよく存じている。もし、いや仮に、でござる。榎本が降伏すると云いだせば、陸軍奉行たる貴殿はどうなさる」
「さあ」
歳三は、困ったような表情をした。彼はもはや他人ひとはひと、自分は自分という心境の中に居る。
「私は身勝手なようだが、榎本がどうするにせよべつに異論はない。ただ私自身はどうするのかと聞かれれば、答えることが出来る」
「どうなさる」
「私にはむかし、近藤という仲間がいた。板橋で不運にも官軍のやいばで死んだ。もし私がここで生き残れば」
歳三は、ふと黙った。
べつに他人に言うべきすじあいのことではないと思ったのだ。くつをみがきはじめた。
近藤は地下に居る。
もしここで自分が榎本や大鳥らと共に生き残れば地下の近藤に合せる顔がない、と歳三は靴をみがきながらごくあたりまえのいわば世間話のような気安さでそのことを考えている。
2024/07/05
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