その夜、亡霊を見た。
五月九日の夜五ツ、晴夜だった。歳三は戦闘からもどって、五稜郭本営の自室に居た。ふと気配に気づき、寝台から降りた。眼をこらして、彼らを見た。眼の前に人が居る一人や二人ではない、群れていた。
「侍に怨霊おんりょうなし」
と古来言われている。歳三もそう信じていた。むかし壬生みぶに居た頃、新徳寺の墓地に切腹した隊士の亡霊が出る、と住職が屯営とんえいに駈け込んで来たことがある。
歳三は驚かなかった。
「その者、侍の根性がないにちがいない。現世に怨霊を残すほど腐れはてた未練者なら、わしが斬って捨ててあらためてあの世へ送ってやろう」
と、歳三は墓地へ行き、剣を撫ぶして終夜、亡霊の出現を待った。ついに出なかった。が、いまこの部屋の中に居る。亡霊たちは、椅子に腰をかけたり、床ゆかにあぐらをかいたり、寝そべったりしていた
みな。京都のころの衣装いしょうを身につけて、呑気そうな表情をしていた。
近藤勇が、椅子に腰をおろしている。
沖田総司が寝ころんでひじ枕まくらをし、こちらを見ていた。その横に、伏見で弾で死んだ井上源三郎が、あいかわらず百姓じみた顔でぼんやりあぐらをかいて歳三を見ている。山崎烝すすむが、部屋の隅で鍔つばを入れ替えていた。そのほか、何人の同志がいたか。
(どうやら、おれは疲れているらしい)
歳三は、寝台のふちに腰をおろして、そう思った。五月に入ってから歳三はほとんで毎日五稜郭から軽兵を率いて打って出ては、進出して来る官軍をたたきつづけてきた。
不眠の夜がつづいた。部屋の中に居る幻影はそのせいだろうと思った。
「どうしたのかね」
歳三は、近藤に言った。
近藤は無言で微笑わらった。歳三は沖田の方に眼をやった。
「総司、相変わらず行儀がよくないな」
「疲れていますからね」
と、沖田はくるくるした眼で言った。
「お前も疲れているのか」
歳三がおどろくと、沖田は沈黙した。灯明りがとどかないが、微笑している様子である。みな疲れてやがる、歳三は思った。思えば幕末、旗本八万騎がなお偸安とうあん怠情の生活を送っている時、崩れゆく幕府という大屋台の「威信」をここに居るこれだけの人数の新選組隊士の手で支えて来た。それが歴史にどれほどの役に立ったかは、今となっては歳三にもよくわからない。しかし彼らは疲れた。亡魂となっても、疲れは残るものらしい。
歳三はそんなことをぼんやり考えている。
「歳、あす、函館の町が陥おちるよ」
近藤は、はじめて口をひらき、そんな、予言とも、忠告ともつかぬ口ぶりで言った。
歳三はこの予言に驚倒すべきであったが、もう事態に驚くほどのみずみずしさがなくなったいる。疲れて、心がからからに枯れ果ててしまっているようだ。
「陥ちるかね」
と、にぶい表情で言った。近藤がうなずき、
「函館の町のうしろに函館山というのがあるが、あそこは手薄のようだ。官軍はあれにひそかに奇兵をのぼらせて一挙に市街を攻めるだろう。守将の永井玄番頭はもともと刀筆の吏(文官)で、持ちこたえられぬ」
歳三は、面妖おかしいな、と思った。この意見はかねがね彼が榎本武揚に具申してあの山を要塞ようさい化せよと言って来たところである。ところが、兵数も機材もなかった。
── せめて私が行こう。
と、今朝けさも言ったばかりである。ところが榎本は、五稜郭から歳三が居なくなるのを心細がり、ゆるさなかった。
(なんだ、おれの意見じゃないか)
寝返りを打って寝台に上に起きあがった。軍服、長靴のまま、まどろんでいたようであった。
(夢か。・・・・)
歳三は、寝台をおりて部屋をうろうろ歩いた。たしかにたったいま近藤が坐っていた椅子がある。さらに沖田が寝そべっていたゆか・・のあたりに歳三はしゃがんだ。
ゆか・・をなでた。
妙に、人肌ひとはだの温かみが残っている。
(総司のやつ、来やがったのかな)
歳三やそこへ、ごろりと寝そべってみた。肘ひじまくらをし、沖田とそっくりのまねをしていみた
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