~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
砲 煙 (三)
その翌日、歳三が五稜郭の城門を出た時は、まだ天地は暗かった。明治二年五月十一日である。
歳三は、馬上。
従う者はわずか五十人である。榎本軍の中で最強の洋式訓練隊といわれた旧仙台藩の額兵隊に、旧幕府の伝習士官隊の中からそれぞれ一個分隊を引き抜いただけであった。
この無謀さには実のところ、松平らも驚いた。が、歳三は、
「私は少数できりのように官軍に穴をあけて函館へ突っ込む。諸君はありったけの兵力と弾薬荷駄にだを率いてその穴を拡大してくれ」
と言った。
歳三は、すでにこの日、この戦場を境に近藤や沖田のもとにゆくことに心決めていた。もうここ数日うかつに生きてしまえば、榎本、大鳥らとともに降伏者になることは明白だったのである。
(かられはくだれ。おれは、永い喧嘩けんか相手だった薩長に降れるか)
と思っていた。出来れば喧嘩師らしく敵陣の奥深く突き入り、かばねを前に向けて死にたかった。
歳三は、三門の砲車を先頭に進んだ。砲を先頭にするのは、射程の短かったこの頃の常識である。
途中、林を通った。暗い樹蔭こかげからにわかに飛び出して来て、馬の口輪をおさえた者があった。馬丁の忠助である。
「忠助、何をしやがる」
「みなさん、来ていらしゃいます。新選組として死ぬんだ、とおっしゃっています」
見ると、島田塊をはじめ、一昨夜別盃をんだ連中がみなそこに居る。
「帰れ、きょうの戦はお前たち剣術屋の手には負えねえ」
と、馬を進めた。島田ら新選組は馬側をかこむようにして駈け出した。
が昇った。
待ち構えたように、官軍の四斤山砲隊、艦砲が、 轟轟ごうごうと天をふるわせて射撃をはじめた。
味方の五稜郭からも二十四斤の要塞砲、艦砲が火を噴きはじめた。歳三の隊に後続して松平太郎、星恂太郎、中島三郎助の諸隊がつづき、その 曳行えいこう山砲が、躍進してはちはじめた。
たちまち天地は砲煙に包まれた。
歳三のまわりに間断なく砲弾が破裂しては鉄片が飛び散ったが、この男の隊はますます歩速をあげた。
途中、原始林がある。
それを駆け抜けた時、官軍の先鋒せんぽう百人ばかりに遭遇した。
敵が路上で砲の照準を開始していた。
歳三は馬腹をり疾風のように走って馬上からその砲手を斬った。
そこへ新選組、額兵隊、伝習士官隊が殺到し、銃撃、白兵をまじえつつ戦ううちに、松平、星、中島隊が殺到して一挙に潰走かいそうさせた。
歳三は、さらに進んだ。途中、津軽兵らしい和装、洋装とりまぜた官軍に出会ったが、砲三門にミニエー銃を連射して撃退し、ついに正午、函館郊外の一本木関門の手前まで来た。
官軍は主力をここに結集し、放列、銃陣を布いてすさまじい射撃を開始した。
松平隊らの砲、銃隊も進出して展開し、
── その激闘、古今に類なし。
と言われるほどの激戦になった。
歳三は白刃を肩にかつぎ、馬上で、すさまじく指揮をしたが、戦勢は非であった。
敵は歴戦の薩長がおもで、余藩の兵は予備にまわされており、一歩も退しりぞく気配がない。
それにここまで来ると函館港から射ち出す艦砲射撃の命中度がいよいよ正確になり、松平太郎などは自軍の崩れるのを支えるのにむしろ必死であった。
歳三はもはや白兵突撃以外に手がないとみた。幸い、敵の左翼からの射撃が不活発ふかっぱつなのをみて、兵をふりかえった。
「おれは函館へ行く、おそらく再び五稜郭には帰るまい。世に生ききた者だけはついて来い」
と言うと、その声に引き寄せられるようにして、松平隊、星隊、中島隊からも兵が駈けつけて来てたちまち二百人になり、そのまま隊伍たいごも組まず敵の左翼へ吶喊とっかんを開始した。
2024/07/07
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