入って来た客は、一人はだいぶくたびれた紺の背広を、もう一人は、淡いグレイのスポーツシャツを着ていた。カウンターにうるさそうな先客が居るので、それを敬遠したのか、片隅のボックスを見つけて、そこへ行きかけた。
すみ子という女給が、すぐ立って案内した。
このとき、客の最初の印象は、背広のほうは
白髪
まじりの頭をしていて、五十年配。
スポーツシャツの男は三十歳ぐらいだった。もっとも、これはよく見たわけではなく、だいたいの年ごろがそういう感じだった。
すみ子は、おしぼりを二つバーテンからもらって客席に運んだ。
「何を差し上げましょう?」
すみ子は注文を聞いた。
「そうだな」
若い男の方が五十年配の男に、相談する目つきをした。
「ハイボールにしよう」
半白頭の男が答えた。
このハイボールにしよう、と言った言葉の調子には、東京弁でないアクセントがあった。すみ子は、客が地方の人、それも東北の方だと瞬間に思った、とあとで警察に述べている。
すみ子は、ハイボールを二つ通した。
先客のサラリーマンたちの話は、映画の話題になっていた。それも、すみ子が好きな俳優の出ている映画なので、つい、その話に気を取られていた。
ハイボールが出来るまで、常連客の話に横合いから一つ二つ口を出し、おもしろくなっていると、
「おい」
とバーテンが、小さな
泡
あわ
を上げているグラスを二つカウンターの上に出した。すみ子は舌を出して、それを銀盆に乗せた。
「お待ちどうさま」
すみ子は、ボックスに行き、一つずつ客の前にグラスを並べた。
このとき、二人はぼそぼそ話をしていたが、彼女が近づいたころには声を止めていた。
「君」
三十男は、横に腰をおろそうとするすみ子に手を振った。
埃
ほこり
っぽい、くしゃくしゃの髪で、スポーツシャツの
衿
えり
にも
皺
しわ
が寄っている。
「話があるんでね、悪いが、遠慮してくれないか」
と彼は神経質な調子で言った。
「どうぞ、ごゆっくり」
すみ子はおじぎをしてカウンターに戻った。
「あちら、なんだかお話のようよ」
「そう」
朋輩
ほうばい
もちらりとボックスを見た。フリの客だし、あまり話のおもしろそうな男たちではないとみて、もっけの幸いで、常連客と映画の話のつづきにはいった。
「そこでよウ、あいつの芸はよウ、二三年前から・・・・」
カウンターでは、映画の話からプロ野球の話にうつった。これはバーテンも好きとみえて、盛んに客の議論に加わっていた。
それで、ボックスの二人の客には、みなからあまり注意が払われなかった。女の子を寄せつけないで、いきなり密談に入っているのも、なんとなく女給たちの気にくわなかった。女の子たちは、まるきり相手にしてくれんばい客よりも、常連の客とむだ話をしている方がよっぽど面白かった。
隅の客はまだ、話し合っている。その様子は、かなり親しそうだった。
それでも、商売意識から、女の子たちは、ちらちらとボックスの方を
眺
なが
めた。
つまり、グラスの酒が
空
あ
いたのではないかという心配からだったが、何度眺めても、テーブルの上の黄色い液体は半分残っていた。景気の悪い客なのである。
ボックスの手前に、トイレに行く入口がある。店の女給も客も、そのために、ときどきボックスのわきを通った。
これは、すみ子がその横を通る時、ちらりと耳にしたのだが、言葉の調子がやはり東北弁だった。濁音の多い訛が耳につく、若い方はそうでもないが、半白頭の人物の発音はほどかった。
二人の話の内容はわからない。ただ、すみ子が、通りがかった時に、ちらりと耳にしたのは年下の男の、
「ヵメダは今も相変わらずでしょうね?」
という言葉だった。
「いんや、相変わらず・・・。だが、君に会えて・・・こんな
嬉
うれ
スいことはない・・・大いに
吹聴
ふいちょう
する・・・みんなどんなに・・・」
年上の男の声は、切れ切れにしか聞き取れない。
だが、すみ子は、それを聞いて、二人は古い知りあいで、しばらくぶりで出会ったのだと思った。カメダというのは二人の共通の友人なのであろう。このことは、あとで警視庁の捜査員に話したことである。
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