到着したのは、捜査一課の
黒崎
一係長だった。捜査員や鑑識課員が七八人加わっていた。
それに、警視庁詰めn各社記者が五六人ついて来ていた。もっとも、記者の方は、現場からかなり離れた所に追っ払われていた。
電車は、七両目だけを残し、異常のない車両は、その連結のまま切り放して、操車場から出発させた。だから、事故の車両だけが一台、ぽつんとそこに残った。
それを中心に鑑識課員が、しきりと立ち働いていた。写真を撮ったり、見取図を書いたり、この操車場一帯の地図を事務所から借りて来て、赤線を引いたりしていた。
ほととおり状況が記録されると、死体が車両の間から引き出された。
顔はめちゃくちゃに
潰
つぶ
されていた。鈍器のようなもので激しく殴打されたらしく、眼球がとび出しそうになり、鼻はつぶれ、口が裂けていた。半分
白髪
しらが
の髪も血だらけである。
鑑識課員はすぐに検屍にかかった。
「この仏は新しいぜ」
課員がしゃがんで言った。
「そうだな、以後推定三よん時間というところかな」
鑑識課員が、死後推定時間を三四時間と言ったのは、だいたい解剖の結果も間違いなかった。
解剖は、その日の午後、R大学法医学部で行なわれた。
その解剖所見は、次のとおりである。
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〇 年齢五十四五歳ぐらい。やや
痩
や
せている |
〇 死因、
扼殺
やくさつ
。 |
〇顔面のほとんどにわたり創縁
挫創
ざそう
が無数にある。さらに手足の各部分にわたって、表皮
剥脱
はくだつ
を伴う傷挫創があり、各部分にはミミズ
腫
ば
れがる。 |
〇胃の内容。
黄褐色
おうかっしょく
のやや混濁液(酒精分を含む)がある。やや未消化のピーナツを混ず。 |
〇 混濁液は、約二〇〇CC。化学検査により睡眠剤を検出。
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〇 以上を綜合して、被害者は、ウィスキーに混ぜた睡眠剤を飲み、そのあと扼殺され、さらに、攻撃面鈍なる凶器(たとえば
金槌
かなづち
)にて強力に殴打されたるものと認む。 |
〇 死後経過三時間ないし四時間。 |
|
解剖所見に記載された凶器の推定は事実と間違いなかった。
捜査班は、その現場付近一帯を捜索した。道路と操車場の間には小さな
溝
みぞ
がある。凶器の石を、その溝中から拾い上げたのだ。
石には
泥
どろ
がいっぱい付着していたが、それを洗うと、わずかに
血痕
けっこん
が残った。溝の中に落ちていたため、血痕の大部分が流れ、さらに泥を洗ったため付着血痕が少なくなったのである。この血痕は被害者の血液型と一致した。
石は直径十二センチの大きさだった。
被害者の手足に無数の
擦過傷
さっかしょう
がついている理由は、すぐにわかった。それは、道路に面した操車場の境界の
棒杭
ぼういぐい
に有刺鉄線が張ってあるが、その一ヵ所だけ鉄線が切られている。だが、これは、前から子供などが出入りしていて、いつか切断されたもので、いわば、いたずら者の侵入口になっていた。
それでもそこは鉄線が残っているので、たぶん、被害者を道路から操車場に引きずり込む時、手足に
刺
とげ
が刺さり、それによって生じた擦過傷と思われた。
解剖所見にもあるとおり、被害者は、ウィスキーに混ぜた睡眠剤を飲まされている。したがって、被害者が無抵抗になった時、犯人は被害者の
くび
を絞め、道路から操車場の中に引っ張り込んだと思われる。さらに付近にあった大きな石ころで被害者の顔面をめった打ちに殴り、頸それから、死体を引きずって始発電車の最後部の車両の下に入れたものと考えられた。
被害者は、髪が半分白髪だった。年齢五十四五歳ぐらい、身長一メートル六〇、体重五二キロぐらいで、栄養は良好だった。
服装は背広だが、これは、下着やワイシャツと共に上等な品ではなかった。職業からみると、一見、労働者ふうといったところだった。警察は所持品を調べた。身元の知れるようなものは何もなかった。洋服のにもネームはなく、ワイシャツ類にも
洗濯屋
せんたくや
の記号がなかった。
死体発見当時から、死後経過三時間ないし四時間というと、前夜の十二時から午前一時ごろである。
現場付近は、その時刻、人通りが絶えている状況からみて、被害者は加害者と一緒にその付近を通りかかって、現場の操車場の中に連れ込まれ、そこで扼殺された。また他の場所で扼殺され、自動車で運ばれたかである。
それは、被害者がウィスキーと一緒に睡眠剤を飲んでいるからだ。つまり、被害者は、犯人によって睡眠剤を飲まされて眠り、扼殺された上、自動車で運搬されたという推定だ。この見方は、一時、捜査本部に強かった。
いずれにしても犯人は扼殺のあと、現場付近の石で、めった打ちに被害者の顔面を殴っている。
これについては、
怨恨説
えんこんせつ
が有力だった。扼殺したのだから、それで目的を遂げたはずなのに、さらに顔面をめった打ちにしたのは、よほど被害者に恨みがある人物の兇行と思えた。
しかし、死体が電車の車両の下に、顔を仰向けに寝かせてあるところなどは、被害者の身許をわからないようにするため、顔を完全に破壊する意図が犯人にあったように受取れる。
つまり、犯人は電車が動きだすと、そのまま顔が潰れるように仕掛けていたのだ。
だが、この犯人は電車が動きだす前に、検車係が、一応、車体を検査してまわることには、気がつかなかったらしい。
それと、操車場には、いつも外灯がついている。犯人は被害者をその光の届かない電車と電車の陰の部分にわざわざ置いている。これは、通行人に発見されないための処置のようだった。被害者の洋服に、ネームのないのは、それが安物の出来合いだからだが、ワイシャツについているはずの洗濯屋の印さえないのは、ふだん、クリーニングに出していないで、家庭で洗ったいる人間だからだ。つまり、それほど経済的に余裕のない生活者のようだった。
この点から、この犯行は強盗ではなく、顔見知りの人間の怨恨による兇行説と捜査本部で決定された。痴情関係のもつれかどうかは、まだわからない。なにしろ、被害者の身許を知ることが第一だった。捜査員たちは、蒲田駅を中心に聞き込みにまわった。すると捜査員の一人が、駅付近の、あるトリスバーから、前夜、被害者らしい人物とその連れの客があったことを聞き込んだ。 |
2024/07/11 |
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