~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
トリスバーの客 (八)
被害者は、五十四五の年輩で、労働者ふうである。それも日雇い人夫らしいと捜査本部では見当をつけた。
そのとき一緒にいた男は、やはいその種類の職業の男であろうとも推定した。
トリスバーに飲みに来るくらいだから、それほど裕福な生活をしている男とは思われない。
とにかく、手がかりは「カメダ」である。
「カメダを探せ、か」
捜査員の一人が言った。
実際、「カメダ」を探せば、この被害者も、犯人も、身許がわかるのである。
「カメダ」はおそらく「亀田」であろう。」しかし、「亀田」姓は、東北でも多いにちがいない。いちいち、「亀田」姓の人間を拾い出して、それから手繰手繰たぐってゆくのは困難だった。
しかし、ほかに思わしい手段がなかったから、この手繰煩瑣はんさな方法をとるよりほか仕方がないようである。
捜査本部では、警察庁の東北管区に依頼して、青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島の各県の警察署管内から「亀田」姓を、探し出してもらうことにした。
これまで集まったリストのたくさんな「亀田」某を、片端から洗ってゆくよりほか仕方がないようである。
この方法は、かなり時日がいるし、わずらわしくはあるが、唯一の確実な捜査方法だった。
この場合、大切なのは、果たして、その男が言った言葉が「カメダ」に間違いなかったかどうかである。もし、それが聞き間違いであれば、とんでもないむだ骨を折らせられることになる。
「たしかにカメダと言いましたね?」
と、捜査本部では念のために、さらにバーの証人たちに聞いている。
「はい、確かにカメダという言葉だったと思います」
と、女給たちは答えた。
「カメダ」を聞いた者はほかにもある。客の一人も聞いたし、また、バーテンもそれを小耳に挟んでいる。
そのいずれもが、「カメダ」と聞こえたと思います、と答えた。
そのいずれもが、「カメダ」と聞こえたと思います、と答えた。
ここで困ったことは、どの証人も、はっきりと被害者の連れの男の記憶していないことだった、年齢からして、三十歳ぐらい、四十歳ぐらい、さらにもっと若いとさまざまである。
人相がわからないというのは、一つは、その男が意識的に顔を皆からそむけていたことに原因」するようだった。事実、その晩、バーの客と女給たちが映画の話などしておもしろがって、あまり二人に注意を払わなかった。そのためでもあるが、二人の客、とくに被害者の連れの方が意識して顔を隠していたと思えるフシがある。
このような点からも、その相手が犯人と断定し得るし、また、犯行を計画していたと推定されるのであった。
もし、その男の人相がはっきりしれいれば、目撃者の供述に従って、モンタージュ写真を作成することも出来る。だが、だれもはっきりと顔の憶えがないのだから、モンタージュ写真作成も不可能であった。
事件発生後、一週間経った。
被害者の身許は一向にわからなった。本部は目蒲線沿線、池上線沿線の聞き込みに主力をそそいだ。
被害者が日雇い労働者ふうのことから、沿線各区の職安の登録名簿も調べた。亀田姓はなかった。
事件が起こって、一週間経ってもまだ被害者の身許がわからない。犯人の方も目星がつかなかった。
捜査本部の方針としては、最初からすぐにホシが割れるとは思っていなかった。目撃者はトリスバーの者と流しのギター弾き以外に現れていない。
本部の見込みでは被害者の惨殺ざんさつ状況から見て、加害者もかなりの血を浴びているという推定だった。だから、当夜、それらしい人物が乗った形跡はないかと、都内の各タクシー会社に手配したが、これも、さらに手がかりはなかった。
また、犯人はその兇行を終わった後、深夜にひとり歩きしては、当然、怪しまれるので、どこかに潜伏し、血のついたズボンや上着を洗い、夜明けを待ち、それから早朝の電車で逃走したという見込みもつけた。
電車の車掌について調べたが、これも、それらしい人物が乗っていたというような言葉は得られなかった。
さらに、現場付近を中心として、土地の捜査を行なった。それは、その付近にかなりの空地あきちが散在して草地になっている。推定は、犯人が兇行をすませたあと、これらの草地の中に一時身をひそめていたのではないかというのである。
そこで、それとおぼしき地点を、シラミつぶしに捜索したのだが、別に、事件に関係のありそうな遺留品は見当らなかった。
わかっているのは、その晩、操車場でこの惨劇が行なわれたというだけで、そのあとの形跡は霧のように消えてしまったのである。
こうなると、どうしても被害者の割り出しに全力を注がなければならない。被害者と加害者とは、顔見知りであり、交遊関係があった。
2024/07/14
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