二人はバスに乗って亀田の方へ行った。バスには土地のひとばかりが乗っている。乗客の互いの会話を聞いていると、意味がとりにくいくらい強い訛だった。
家並みはすぐに切れて田圃道たんぼみちをバスは走った。車窓に迫った山の新緑の色が美しい。この辺は時期が東京あたりよりはずっとおそいのだ。
今西は、ぼんやりと目を外に向けていた。
教えられた停車場で降りて、その朝日屋という旅館を訪ねた。署長の説明では格式は古いという話だったが、その建物も古かった。破風はふ造りの玄関だけが時代遅れでいかめしい。
「こういう者ですが」
今西は、出て来た女中に警察手帳を出した」。ご主人にお目にかかりたい、と言うと、四十格好の男が奥から現れて、今西の前にズボンの膝ひざを折った。
「東京の警視庁から来た者ですが」
今西は玄関に腰をおろして話した。上にあがれ、と主人はすすめたが、そのままなので女中が座布団ざぶとんをお茶を上がり框に持って来た。
今西は、岩城署の署長から聞いた話をあらまし言った。
「確かにそういうお客さんは泊まったです」
主人はうなずいた。
「それをもっと詳しく教えてくれませんか?」
今西が言うと、宿の主人は承知して話したが、それは署長の談話とあまり違わなかった。
「その男の書いていった宿帳があるそうですね?」
今西がきくと、
「あるす」
と、主人はうなずいた。
「それを見せてくれませんか?」
「はい」
主人は女中に宿帳を持って来させた。宿帳といっても、一枚ずつ離れていっる伝票のようなものだった。
「これでがんす」
主人が差し出して見せたのは、つぎのような記載だった。──
「茨城県水戸市××町××番地橋本忠介はしもとちゅうすけ」
下手へたな文字だった。まるで、小学生が書いたみたいだった。だが、これは、その男が労働者風という印象と思い合わせて不自然ではなかった。
今西は、その文字をじっと見つめた。
今西栄太郎はその客の人相をきいた。それは、三十ぐらいの年輩で、背が高かった。体格は、痩やせてもいず、太ってもいない。顔だちはやや面長おもながで、髪は分けないで短かった。顔の色は黒いが鼻すじの通った整った容貌ようぼうだった。だが、彼はその顔をいつも伏せて、話をする時も、まともに目を合せなかったという。それだけに女中たちの印象もまとまりがなかった。
言葉つきはどうかときくと、あきらかに東北弁ではなかったと言うのだ。標準語に近い言葉で、声はやや渋かったと言う。全体の印象は、陰気で、ひどく疲れていたような感じだった。これだけは、全部が一致した意見だった。
彼は、べつに旅行鞄かばんもスーツケースも持っていなかった。ただ、戦時中によく使った肩から下げる布製の鞄を持っていて、それに手まわりの品を押し込んでいるようだった。肩掛鞄はふくれていた。
この宿屋での話は、二人の刑事が干しうどん屋を訪ねても同じ結果だった。
うどん屋は、その横に干し場があって、うどんを陽ひに乾かしている。それは竿竹さおだけをならべ、それに吊つり下げているので、うどんの白さが陽に輝いて、まるで滝のようだった。
「このあたりに、その男だば立っていだのす ──」
と、そこの主婦が出て来て説明した。
その場所は、干し場から約二百メートル隔たった小道である。この辺になると、隣の家とも間隔が広く、その間は草地になっていた。草地の間に小さな道があり、それが本通りと合っている。問題の男は、その草地のあたりをしゃがんだり立ったりして、三十分もうろうろしていたというのだ。
「とってもおかしげな人だと思っていだでば。だどもいだずらをするようでもねえから、とがめることもできねえけども、あとで刑事さんが来て、最近、変わったことはねえか、ときかされたので、そのこど話したようなわげでやんす」
「すると、この干しうどんを見物していたんですか?」
「んだな、ずっと、うどんの方を見でるえんた、休んでるえんたよな。わげのわがらないあmんべええだした」
ここでは、ただそれだけを確かめただけで、今西は吉村と出て行った。話は署長から聞いたとおりだった。 |