~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
カ メ ダ (十)
「その連中が何でこの田舎に来たのかな?」
「きいてみると、この岩城町には、T大のロケット研究所があるんだそうです、その見学の帰りだそうですよ」
「ロケット研究所? へえ、そんなものがこの田舎にあるのか?」
「ごくもそれを聞いて思い出しました。それも何かで読みましたよ」
「妙な所にまた近代的なものがあるものだね」
「そうなんです。連中は、その見学をすませて、これから秋田に行き、そこから十和田湖を見て帰るんだそうです。いわば彼らは新しい時代の脚光を浴びているマスコミの寵児ちょうじですから、土地の新聞社があんなに騒いだわけですね」
「なるほど」
今西は無関心だった。彼と彼らの間には遠い距離感がある。だから、彼はその話を聞いたあと欠伸あくびをした。
「ところで、吉村君、汽車は決まったかい?」
「ええ、十九時四十四分の急行があります」
「上野に何時に着くの?」
「翌朝の六時四十分です」
「いやに早く着くんだな。まあ、いいや、うちに帰って一寝入りして、それから捜査本部に行か」
今西は呟くように言った。
「どうせたいした獲物を持って帰るわけではないから、気があせらないよ」
「ほんとですね。今西さん、どうです? ここまで来たついでですから、日本海の海の色でも見て帰りましょうか。まだ時間がたっぷりありますよ」
「そうだな、じゃ、そうするか」
今西と吉村とは、町を通って海岸の方に向かった。
町並はしだいに漁村に変わってくる。急に潮のにおいが強くなってきた。
海岸はほとんど砂地だった。
渺茫びょうぼうたるものですな」
吉村は、砂の上を歩いて海を見張らした。一望の水平線には島影一つ見えない。西に傾いたが、海の上に光の帯を作っていた。
「やっぱり日本海の色は濃いですね」
吉村は眺めて感嘆した。
「太平洋の方だともっと色が浅くなります。こちらの感じのせいかも知れないが、色が濃縮されたという感じですね」
「そうだな、やっぱりこの色が東北の風景に似合うんだね」
二人はしばらく眺めていた。
「今西さん、何か出来ましたは?」
「俳句か?」
「もう三十句ぐらい出来たんじゃないですか?」
「むちゃ言うな。そう簡単に出来ないよ」
今西は苦笑した。
二人の前を、漁村の子供が大きなビグをかついで通った。
「こういう所にいると、東京のせせこましさがわかりますね」
「のんびりするなあ」
「二三日、こんな所でゆっくりしたら、ほんとに気分が洗われるでしょうね。ぼくらの心の中には埃がいっぱいたまっているような気がしますよ」
「君は、あんがい詩人だね」
今西は吉村の顔を見た。
「いや、そうでもありませんが」
「さっきの若い連中のことを知っているのもそれでわかるな。やっぱり、そんな本を君が読んでいるせいだね」
「いや、それほど好きではないんですが、常識程度ですよ」
「なんとか言ったね。ヌーボー・・・」
「“ヌーボー・グループ”です」
「ヌーボーというのはおもしろくて覚えやすい。連中はまさかそんなのんき者の集まりではないだろうな?」
「どうして、どうして、なかなか俊敏な連中ばかりですよ。みんな次の世代を背負っているような意識の強い人たちばかりです」
「ぼくらの小さいときにも、そんなことを叔父おじから聞いたな。叔父は三門小説を書いていた。いや、未だ子供の時分だったがね。さっきの、“新しき村”もそうだったが」
「ああ、“白樺しらかば”の人たちですね」
と、吉村が知っていた。
「あの時もそうでしたが、近ごろはもっと個性的な色彩が強いのです。白樺派は、有島ありしまさんだとか、武者小路さんだとかいった個性の強い人もいましたが、一体にそのグループは平均した色合いでしたね。今の方がそういう点では、各自の個性の強さがそのまま集団の特徴となっているのです。それに、白樺のころは人道主義などと言って、文芸活動に限られていましたが、近ごろでは、どんどん、政治の方に活発な発言をしているようですな」
「やっぱり時代の違いだね」
今西はよくわからなかったが、ぼんやりとしたことはわかるような気がした。
「帰りましょうか?」
若い吉村の方はそろそろ退屈していた。
「帰ろう。どうせ今夜は汽車の中だ。ぼくは君と違って眠られないたちだから、今のうちに少し体を休めなきゃいけない」
2024/08/02
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