~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
カ メ ダ (十一)
汽車はすいていた。
本荘ほんじょうで急行に乗り換えた二人は、三等車のほぼまん中あたりに、悠々ゆうゆうと席を取ることが出来た。
「今西さん、ちょっと弁当買って来ます」
吉村は荷物を置くと、そそくさと立って行った。
ここは五分間停車だから、ゆっくりしたものだった。窓際まどぎわには、列車と見送人との交歓が随所に行なわれている。今西はぼんやりそれを眺めていた。会話はこの辺のなまり言葉で、はっきりと意味がわからなかった。
やがて、吉村が弁当とお茶を持って帰った。
「やあ、ご苦労、ご苦労」
今西は、その一つと茶びんとを受取った。
「腹が減りましたな。さっそく、やりましょうか?」
「列車が出てから食べた方がいいよ。その方が落ちつくからね」
「そうですね」
その列車は、やがて発車した。駅にはもう灯がついている。「羽後本荘」という駅名がホームト一緒に後ろに流れた。駅の構内が切れると、町の灯が移動して来た。踏切には、人びとが立ち止まって汽車を見送っている。
今西はいつものことだが、こうして遠いところに出張して来るたびに、一生、この町を訪れるかどうかわからない、という一種の感慨が起こる。夜の本荘の町もやがて切れ、黒い山だけがゆっくりと動いてきた。
「そろそろやりましょうか」
吉村は弁当を開いた。
「ぼくはね、吉村君」
と、今西は弁当をひろげて言った。
「この汽車弁を食べるたびに思うんだよ。子供の時、こいつが最大のあこがれでね、なかなか、母親が買ってくれなかったもんだ。当時、いくらだったかな? そうだ、三十銭ぐらいだったと思うよ」
「ほう、そんなでしたかね」
吉村は、ちらりと今西の顔を見た。彼には今西の育ちというか、幼い時の環境がわかるような気がした。それからみると、さっき駅で見かけた若い人たちは、ずいぶん恵まれた環境だった。いずれも良家の子弟なのである。そのいずれもそろって大学教育を受け、不自由のない生活を過してきている。吉村は今西の顔を見て、この老練で、地道な先輩刑事と彼らの若いグループとを、比較せずにはおられなかった。
実際、今西は楽しそうに駅弁を食べ終わった。そして、土びんの茶をんで、うまそうにのどに流した。その伸びたひげのあたりには、疲れの色がもう見えていた。
今西は弁当の蓋をすると、丁寧ていねいひもでくくった。それから、半分に切った煙草たばこを取り出して、うまそうに喫った。
それを喫い終わると、今西は上着をごそごそと探して手帳を取り出した。むずかしい顔をして眺めている。向い合ってすわった吉村は、今西が事件捜査のメモでも検討しているのかと思った。
「吉村君、これを見てくれ」
今西が少し照れ臭そうな笑いをしながら、手帳を見せた。
《干しうどん 若葉に流して 光りけり》
《北の旅 海藍色あいいろに 夏浅し》
「なるほど、収穫ですね」
と、吉村はにこにこして次の句を見た。
《寝たあとに 草のむらがる 衣川》
「ははあ、これが例のおかしな男のことですな」
吉村は、その句を読んで言った。
「まあ、そんなもんだ」
今西はやはり照れ臭そうに笑い、窓の方を向いた。
2024/08/02
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