~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
ヌーボ・グループ (四)
クラブ・ボルーヌは、銀座裏にあった。
ビルの二階で、あまり大きくないが高級なバーだった。実業家や文化人が集まる所でも名前が高かった。
宵の口だったが、客が来ていた。はやっている店なのである。これが九時を過ぎると、あとから入って来る客が、入口で立往生しなければならないほど混みあう。
大学で哲学を教えている助教授と、史学を教えている教授とが、片隅のボックスで、飲んでいた。そのほか、会社の重役らしいのが二組いた。まだ静かなのである。女給たちは、ほとんどがこの三つの組に付いていた。重役は上品な猥談を話し、教授たちは大学への不満を語っていた。
そこに、ドアをあおって五人の青年たちが入って来た。
女給たちは振り向いた。
「いらっしゃいませ」
女の子たちの大部分が、その新しい客の方へ流れた。背の高いマダムが、重役のそばを離れて新しい客たちに近づいて行った。
「まあ、しばらく。どうぞこちらへ」
広いボックスがすいていた。それでも足りなく、ほかの椅子を持ち出して、横に並べた。客はボックスに向い合ってすわり、その間に女たちが適当に挟まった。
「みなさま、お揃いで」
マダムが満面に微笑を見せて言った。
「どこのお集まりでしたの?」
「なに、くだらん会があってね。ちょうど、みんなの顔が揃ったので、口直しにここに来たんだ」
演出家の笹村一郎が口を切った。
「どうもありがとう。ようこそ」
「笹村先生」
顔の細い女給が言った。
「ずいぶんしばらくですのね。こないだ、いらしたときずいぶんお酔いになってお帰りになったので、心配してましたわ」
「やあ、あのときは失敬。あれで事故なしに帰れたよ」
「笹村、君、だれと来たんだい?」
関川重雄が横から聞いた。
「なに、雑誌社の座談会の流れでね。気に食わないのが一人いたものだから、すぐ素直に帰る気がせずに、ここに寄って飲んだんだよ。つい、飲み過ごして、不覚を取った」
「みんなで車でお運びしたの。そりゃもう大変」
女給が関川に笑った。
ここにいるのは、演出家の笹村一郎、劇作家の武辺豊一郎、評論家の関川重雄、作曲家の和賀英良、建築家の淀川龍太の五人だった。画家の片沢睦郎はよそに回っていた。
「みなさま、何を召しあがります?」
マダムがそれぞれの顔に愛嬌のある瞳を一巡させた。
五人は、それぞれ注文を出した。
「和賀先生」
マダムは、作曲家に顔を向けた。
「いつぞやは、失礼いたしました。お元気でいらっしゃいますか?」
「このとおりだよ」
和賀は、体の向きをマダムの方に変えた。
「いいえ、先生のことじゃありませんわ。あちらさまです」
「和賀」
と、隣の演出家が肩を叩いた。
「やれれたな。君、どこでマダムに見つけられたんだ?」
「いいとこ。ね?」
マダムが片目を細めて笑った。
「そりゃ、ナイトクラブだろう?」
和賀英良は、マダムの顔を見た。
「あきれたもんだ。ずけずけと言っている」
笹村が横で言った。
「拝見しました。おきれいな方ですのね」
と、マダムは微笑した。
「雑誌などで、お写真を拝見したことがあるんですけれど、実際にお目にかかった方がずっとおきれいですわ。先生、お仕合せですのね」
「そうかな」
和賀は首をかしげ、運ばれたグラスを手に取った。
「和賀のフィアンセのために」
と、やはり演出家が音頭を取った。グラスが触れあって鳴った。
2025/03/18
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